久住女中本舗

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2009年 12月 14日

フリーサウンドノベルレビュー 番外編 『吟遊詩人』

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道玄斎です、こんばんは。
こんな夜中には、本当ならばベッドの側のライトだけ付けて『眠られぬ夜のために』なんかを読むのも素敵なのですけれども、私の場合はやっぱり、ここに戻ってきてしまいます。そうノベルゲーム/サウンドノベルです。

少しダウナーな状態であっても、尺が短いと分かっていれば取っつきやすいですし、内容も丁度、今の私にぴったりだったんじゃないかと思います。
いつもより前口上が長いですが、今回は「Like a spiral staircase」さんの『吟遊詩人』です。

私がプレイして13分でしたから、又しても番外編に入れさせて頂きました。
以前レビューした事のある同じ作者様の『僕の愛する三匹』と、ストーリーそのものは違うけれども、どこか通底しているものを感じさせる、そんな作品だったのではないでしょうか?

モノを書くという事。

結局、作者様が突き詰めたいと思っていらっしゃるテーマの一つが、そうした部分にある事想像に難くありません。今、ブログの方も拝見したのですがどうやら福永武彦(声優の池澤春菜さんのお爺さまですね)がお好きなようで、結構趣味が私と近いかも知れませんねw
意外というか、或る意味当たり前というか、私が「福永武彦は天才!」と云う根拠は『今昔物語』のリメイクに拠るものだったりします。あれを確か10代の半ばくらいに読んで、どえらい衝撃を受けた記憶があります。

手前味噌で申し訳ないのですが、私は幼い頃から文章を書く、という事が非常に好きで、昔から作文コンクールや散文詩のコンクールとかがあると、いつも入賞して某区や某都(こりゃ、某付ける意味がないw)の代表になり賞を頂いたりしたものですけれども、高校生くらいからパタリと文章を書かなくなってしまいました。

それは、一つにはなまじっか昔から賞ばかり取っていたものですから、どうしても「上手く書かないと」という意識が働いたりしたから、なんですよね。
矛盾しますけれども、大学生の時なんかでも、全く何も書かないって事は実はなくて、ちょこちょこっと「文章募集」みたいな企画があると、さらっと書けそうなものは書いたりして、そこでもやっぱり某府から賞を頂いてしまったりとか、して。
何て云うか、そんなラッキーパンチが足かせになり、徐々に文章を書く、という事に対して「純粋性」みたいなものを喪ってしまった気がしています。まぁ、私の場合は物語を書く、というよりは、このブログで書いているような日々之雑記的な、本気で取り組んでいる方には失礼かもしれませんが、エッセイ的なものの方が得意で、賞を頂いたモノの多くはそうしたテイストのものです。


……とのっけから大脱線していますね。。
ともあれ、私は本作の主人公に滅茶苦茶共感してしまったんですよ。主人公はやっぱり、書くことが好きで、寧ろその道しか無い、と思い定めている青年。書いては有能な医者として活躍している姉に作品を見せるのですが、悉く酷評されてしまいます。
「次こそは」と作品を練り、書き上げるもやっぱり姉からは冷たい言葉しか返って来ず、落ち込んでしまうわけです。そこで主人公が取った行動は「兎に角感動させるストーリーを作る」という事でした。

ノベルゲームのコツ、みたいなものを私が書くのもお門違いも甚だしいのですけれども、400本以上レビューを書かせて頂いて、又時には商業のものもプレイして、とやっていると、何となく「メソッド」的なものが見えてくる事もあります。
幾つか、(飽くまで私が考える)感動出来るノベルゲームのセオリーは……


・誰か(主にヒロイン)が死ぬ。

・作中で世代交代が行われ(又は過去がサンドイッチ状に現代に挟まれて)、ストーリーに厚みを持たせる。

・星や海と云った、人間の及ばないような壮大なものをストーリーやテーマと絡めていく。


なんてのが、ひとまず上げられそうです。
多分、かなり使い古されていて或る意味で手垢にまみれている、と云ってもいいのでしょうけれども、上手に丁寧にこうした要素を使えば、今でも全然通用するんじゃないかと窃かに思っています。
蛇足ですけれど、最後に上げたテクは、最近の谷川史子が多用するテクですねw 

本当は「テクニックに走る」みたいのは、あまり好きじゃないんですけれどもね。
私自身が、何かを書こうと思う時は決まって結末部分が思い浮かんで、というパターンなのですが、悲しい哉、いつも一番最初に挙げた「誰かが死ぬ」パターンになってしまうというw
私は、これを有効利用出来そうだけれども、氾濫したら困るという意味で「ヒロイン殺し」なんて名付けているのですけれど、自分で何かを作ろうと思うといつもヒロインを含めて「全滅」というパターンに……w

人が死ぬ話、というのはあって然るべきものだと思いますし、人は遅かれ早かれ必ず死にます。
ですから、そういう意味でも「大切な誰かが死亡する」というのは、文章を使った芸術(ノベルゲームもひとまずこの範疇に入れてしまいましょう)に於いては、避けて通れないテーマであると同時に、凄く自然な事でもあるわけです。
ただ、「感動させる為の道具」として安直に人間を死亡させてしまう、というのはノベルゲームであっても、いや、ノベルゲームだからこそ私はあまり好きではないんです。人、或いはもっと云ってしまえば人類が滅びる、という終末世界を描いた作品がありますけれども、決して安直な死が描かれているわけじゃないですよね。
あまり、プレイしたけれども肌に合わなかった作品、というのも当然あって、その中にかなり安直に人間が死んでしまう、という作品がありました。それが、サンダーボルト三部作みたいなギャグならば全然大丈夫なんですけれども、ストーリーと描き方、というか、そうしたものの絡みに於いて、私はどうしてもその作品は受け入れられなくて。

で、話が戻りますけれども(今日は本当に脱線が多い……)、本作の主人公も又、安直に「感動の為だけ」に人が死ぬストーリーを綴ってしまうわけです。この辺り、結構読んでいてグサッときましたね……。
本当は「みんなが感動してくれる物語を作りたい」という純粋な想い、それが「姉にぎゃふんと云わせたい」とか「兎に角感動させちまえ」というような、或る意味で不純な動機が入り込んできた、という訳です。

そんな折りに、姉が交通事故に遭ってしまい主人公の生活は荒れていってしまう。
自分の書いた作品を酷評していた姉ではあるものの、事故をきっかけにして、そんな姉に甘えていた部分、依存していた部分みたいなものが浮き彫りなっちゃうんですよね。
いつも自信満々で、勉強熱心。まるで非の打ち所の無い完璧超人の姉貴という存在は、主人公のコンプレックスであり一つの枷になっている部分もあり、同時にどうしようもない程憧れている、そういうものなんじゃないかな、と。
この辺りの描写も本当に我が身にたどって思う事が色々ありました。

主人公は荒れていくのですが、ある事をきっかけにして、また文章を綴ろうという前向きな気持ちが出てきます。それは読んでいる人(=プレイヤー)にとっては、本当になんてことないきっかけなのかもしれないけれども、こうした主人公の状況では、寧ろそうしたものの方がシンプルでストレートに心に刺さったりするものです。私の文章宜しく、長々と書くよりも、あっさり一行で書いたものの方が心を打つ、なんて事が往々にしてあり、そこが文章というものの面白さであり、又難しさなんでしょう。

結末部分が少し消化不良な感じはあるのですけれども、モノを書くということ、という意味においてやはり色々と含蓄深い作品だったんじゃないかと思います。

語尾に「ヨウ」を付ける兄貴の存在は、中々良かったと思いますヨウw
本当に、あれであのクラブ通いを日課としている兄貴が出てこなかったら、相当ジメジメした話になっていたハズなので、縁の下の力持ち的な、暗くなりがちなシーンを少し緩和してくれる良い役でした。こういうクラブ系のお兄さんの造型、やり過ぎでは? と思う人も居るかもしれませんが、私からすると「そうでもないかな?」とw というのも知り合いにDJとして身を立てている人が居て、そいつの書く日記とか、判読不能ですもんw 「すげぇSHITなヴァイナルをディグしてきたぜ」みたいなw これを翻訳すると「凄い良いレコードを探し出してきたぜ」くらいになるらしい。


後書きを読むと、「ノベルゲームとしての要件を満たしていないのではないか?」というような、作者様の危惧が綴られているわけですが、全然そんな事ないと思いますよ。
逆に言えば、NScripterなり吉里吉里/KAGなりを使って、文章を読ませる事を主眼に於いた作品であれば、それはもう立派なノベルゲームです。
起承転結なり序破急なりがキッチリあって、という作品の作り方も当然あるわけですが、自分の書きたいものを粘り強く書いていく。やっぱり、そこが「書く」という行為に当たっての最大の難関ですし、そうした作品を受け入れる土壌もフリーのノベルゲームの世界では当然ありますから。

何事もそうですが、本当にやりたいことをしっかりと見据え、純粋にひたむきに(時間が掛かっても)じっくりとやっていく、これこそ王道だと思います。
まぁ、実際は色々な事情で、そう出来る人というのは極々限られた人だと思うのですが、だからこそ、そうやって頑張っている人の姿は胸を打ちますし、

「継続出来るかどうか」

実は、才能と呼ばれるものの正体というのはそんな所にあるんじゃないかな? なんてここ数年考えています。
もすこし、ラストで盛り上げや或る意味で明確な部分、があっても良かったかな? という気はしますが(ここが又難しい所で、好きなものを好きに書くという事と同時に、それを読んでくれる人という受け手の問題も考えないといけないんですよね……そのバランスが上手に取れる人が上手な書き手、なんでしょう、多分……)、こういう、まぁ、私は日々のつれづれや作品のレビューばかりですけれども、「何かを書いている人」に、訴えるもののある、そういう作品だったと思います。

大体10分ちょっとの尺ですから、興味を持たれたらプレイしてみて下さい。
今日は、番外編なのに、普通のそれよりも長々脱線して書いてしまった気がする……。反省。


それでは、また。
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by s-kuzumi | 2009-12-14 02:58 | サウンドノベル | Comments(2)
Commented by 九州壇氏 at 2009-12-16 16:15 x
作者の九州壇氏です。いつもお世話になっております。前作に続き、「吟遊詩人」も取り上げてくださり、ありがとうございました! 僕よりもずっと文学に慣れ親しんでいる道玄斎さんに読んでいただけるのは、嬉しい反面、かなり恥ずかしいですね(笑)今回も丁寧に書いてくださった文章を胸に留めておこうと思います。最後のほうなんかは特に、ですね。
道玄斎さんも、福永武彦さんの本を読んでいらっしゃるんですね! かなり嬉しいです。ただ申し訳ありません。情けないことに、僕はまだ「今昔物語」を読んだことがありません(笑)早いうちに、近くの本屋で探してみようと思います。
「Novelers' cafe」にあまり書き込みしておらず、申し訳ないです。毎日のように覗いてはいるのですが、ちょっと経験が少ない僕では語れそうなことがあまりなくて。機会がありましたら、是非またお話できたらと思います。
天気予報によると、今日から本格的に寒くなるそうです。風邪気味ということですし、どうぞご自愛ください。
では、失礼しました。
Commented by s-kuzumi at 2009-12-17 20:38
>>九州壇氏さん

こんばんは。
いえいえ……毎度好き勝手な事書いてスミマセン。。文学に慣れ親しんで……はいるとは思うのですが、多分、文学作品の読書量で云えば、私の方が遥かに劣るんじゃないかなぁ? と。あんまり近代の小説とか読まないですしねw 
「文学」っていうと、文章を書くというのが第一義的に思い浮かぶわけですけれども、私の場合はそうやって書かれたモノを切り刻んでホルマリンに漬けて……と、そういう関わり方だったので、また特殊なんですよね。

福永武彦は近代の文学だったら、かなり好きな方ですね。何故か家に全集がありまして、それで読んでました。
是非、福永武彦リメイクの『今昔』を読む前に、予習というか現代語訳で(そして本朝世俗部だけで)OKなので、生の『今昔』を読んでおいて下さいw 元ネタを知っていれば、福永武彦のリメイクによる凄さが良く分かりますw

Novelers' cafeの方はのんびり運営なので、どうぞお気になさらず。気が向いた時とか、何か語りたいとか、一言言いたいなんて時には、お気軽にだうぞ。

ではでは、失礼致します。


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