久住女中本舗

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2009年 12月 16日

なんてことない日々之雑記vol.258

道玄斎です、こんばんは。
何故か今日は鼻水が止まりません。ってのっけから汚い話で申し訳ない……。
風邪って程大層なもんじゃないんですが、風邪気味、くらいでしょうかね? 何にせよ少し養生しつつ日々過ごす事に致します。



■アナログなゲーム

パソコン上で遊ぶゲーム、シューティングありRPGあり、ノベルゲームありと色々あるわけですが、一方でアナログなゲームというものもあって、うんと分かりやすい例えだとチェスだとか将棋だとか。

将棋とチェスは似てるけれども、コマの動きが違ったり色々細部が実は違うんですよね。
わたしゃ、小さい頃から慣れ親しんだ将棋の方がいいなぁ……。

いや、今回の話は将棋とかでもなくて、実は「缶蹴り」です。
アナログなゲームの例としてチェスや将棋を挙げたのですが、またちょっと趣が違いますねぇ。チェスや将棋は子供から大人まで幅広く楽しめる知的遊戯ですけれども、「缶蹴り」になると「子供限定」(別に大人がやってもいいけれど、変な目で見られる事は間違いないでせうw)で、「野外」で遊ぶ、いわば、懐かしの遊びみたいな、そういう感じでしょうか。

いや、ふとね、朝「缶蹴りっていつから遊ばれていたのか?」と考え出したら、一日中缶蹴りの事が頭から離れなくて。
缶蹴りっていうくらいですから、缶(空き缶ですね)がないと遊びが成立しないんですよね。となると、缶製品がこの世に出現した以降に、この遊びが成立した、という事になります。

ただ、そうはいっても、内容は缶蹴りとほぼ同一なのにも関わらず、缶を使用しない遊びがあって、「ベース踏み」とか「円踏み」とか、そういうものもあるわけです。
ベース踏みは野球のベースを、円踏みは白墨で書いた円とか、マンホールの蓋を缶に見立てて遊びます。

先ず、問題の切り分けとして「缶を使用するか否か」で、成立の順番を問う事が必要だと思われます。
ただねぇ……普通に考えれば、缶蹴りという名称が今日に於いて「ベース踏み」や「円踏み」よりも一般的である(だろう)という事、又ベースや円は、「代用的」な要素が強そうだという事で、恐らく……缶そのものを蹴る方が最初にあって、缶がない状況でも同様の遊びを可能にしたものとしてベースや円があるのではないだろうか、と思うわけです。

ここらへんは考えていても、証拠となる資料がなければしょうがない事ですから、缶蹴りの方が元祖、という事で強引にいきましょうw

次に考えるべきは、缶、もっと云えば「廃棄された空き缶」が日本のどの時代から一般的になったのか、という問題が出てきます。
恐らく(というか、何一つ証拠がないから恐らくを連呼せざるを得ない……)、缶蹴りなる遊びの発祥の背景には、「そこらへんに良くおちている缶」を子供が創意工夫で以て、遊び道具にした、というものがありそうです。となると、缶、缶詰というものがまだ珍しい、という状態では、発生しにくい遊びです。
要は、空き缶が惜しげもなくそこらへんにポンと落ちている状況、そうした状況になって初めて缶蹴りなる遊びの芽生えがあるのではなかろうかと。

自分の祖父母の話や自分の実体験を総合して考えると……多分……昭和の初めくらいなんじゃないかなぁ? なんて思うんですが如何でしょうかね。
明治生まれの祖父は、缶蹴りなんぞ知らない感じでしたし、そんなに空き缶なんてのが、ゴロゴロ落ちていたとは考えにくい。大正年間もなんかもそうしたイメージじゃないですよね。となると、どうも昭和の初期に発祥した遊びなんじゃないかなぁ? と考えるわけです。

昭和は、私もよく知っている年代ですけれども、私が幼かった頃からして、結構「古式ゆかしい遊び」の一つだったような気がしています。
となると、どうしても昭和初期でないとつじつまが合わない気がするんですよねぇ。昭和の最初から太平洋戦争の間くらいに考案されて、現代に至るまで残っているんじゃないかなぁ、と。や、今、缶蹴りやっている子供とか見る事も無くなってますけれども。

と、するならば、もしかすると、缶蹴りなる遊びは20年くらいの比較的短い時間の中で、子ども達の間で、爆発的に流行った一種のブーム的な側面もあるのかも。
同年代の友人に何時間か前に電話を掛けて、聞き取り調査をしてみたところ、多分、日本全国どこでも缶蹴りをやっていた事は確認出来ましたw 

私の推測の結論としては「恐らく、昭和の初期~太平洋戦争くらいの凡そ20年くらいの比較的短いスパンの中で考案され一気に広まった遊び」が缶蹴りなのではないかと思います。


ここで、更に疑問が出てきました。
考案時期はひとまず、これで良いとして、次の疑問は「誰が考案したのか?」、という発祥地の問題です。
これまた難しいですよねぇ……。考えた子供は天才だと思いますけれどもねw

昭和初期で缶がゴロゴロ落ちているような立地条件、という事を考えると、地方の村とかではなくて、或る程度文化的水準の高い「都市」にて考案された気はしますね。
でもって、日本全国津々浦々、私の調査(?)の及ぶ範囲では私の同世代の人で「缶蹴りを知らない」なんて人は無いわけですから、ふつーに考えて日本の真ん中くらいに考案され、同時速度で広まっていった、と考えられなくもないという気がしないでもないw

日本の真ん中って云っても、「関ヶ原……あたり?」とか考えるんじゃなくて、ここでは色々な条件(都市である事など)を勘案して東京、になります。
そこから同心円状に缶蹴りなる遊びが普及していったんじゃないかなぁ? なんて思うのですが……。

一つだけ、私の調査で分かったのは、東京より遠い地域に幼い頃住んでいた人にとって、「缶蹴りは学校帰りに毎日やっていた」という事実もあるみたいです。
って、分母が少ないのに一般化していいのか? と思いますけれども、このまま話を進めちゃいましょうw
一方、東京育ちの私の感覚では、缶蹴りは遊びの一つとして、比較的良く遊ばれるが当時から「古式ゆかしい」雰囲気があった、というものがあって、その点で東京と他の地域で缶蹴りに対する意識の差のようなものがあるようです。


で、話がガラッと変わるみたいですけれども、方言ってありますよね?
どこでどうやって方言が発生したのか? ってのは国語上の大問題で、決着が付かないような深淵な問題ですが、私が個人的に納得出来る説があります。それは、

京都を中心に同心円状に、京都発の「ナウい」言葉が広まる。
けれども、その「ナウい」言葉が地方に広がった時には、京都では既にそれが「死語」になっており、新しい言葉に取って変わられている。
そして、又京都からその時の「ナウい」言葉が同心円状に広がる。

こんな説です。
これは、つまり京都が日本の政治的文化的中心地だった頃、の事ですけれども、「京都に近ければ近い程、ナウい言葉で、京都から離れていけば行くほど、誰も京都では使わなくなっている『死語』が使われている」という事になるわけです。勿論、そこに海を隔てている、などの地理的な断絶があったりすると、またそうした条件は変化しそうですけれども。
つまり、寧ろ、方言こそが何百年前もの、京都の言葉を残しているという説でして、私としては何だか納得出来るんですよね。色々な例外などあるものの、所謂「古典文法」みたいのが方言として残っているなんてケースもありますから、結構イケてる仮説なんじゃないでしょうかね。
詳しくお知りになりたい方は柳田国男の『蝸牛考』という本をお読み下されば。。


と、まぁ、ここで話を缶蹴りに戻すと。
東京では、昭和の初期に考案された缶蹴りが「あまりに馴染みのものになってしまった」感があるのに対して、東京から離れた地域ではどうもまだ「鮮度」を保っていた、という感触があったので、こうした仮説と組み合わせて考えてみると、やっぱり、波状的に缶蹴りという遊びが広まっていったのではないかと。

全体を纏めると。

・昭和の初期に東京で缶蹴りなる遊びが発生。

・そして、東京から波状的に缶蹴りが伝播する。

・今に至る。

と、まぁ、こんな事になるんじゃないかと。
論、としては穴だらけの酷いもんですけれども、こうやってマジでどうでもいい事をくだくだと考えていくの、好きなんですよ。

取り敢えず、缶蹴りについては、自分の中でひとまずの結論が出たので、これ以上考えないようにする事にします。こうやって、あれこれあれこれ夜中に考えていると眠れなくなっちゃうのでw



それでは、また。
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by s-kuzumi | 2009-12-16 00:31 | 日々之雑記


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