2010年 04月 02日

フリーサウンドノベルレビュー 番外編 『クイズ 地球人の証明』

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道玄斎です、こんばんは。
今日も今日とて番外編。
フリーのノベルゲームの界隈では、年に何度か賑やかになる、と申しましょうか、華やぐといった方が季節的に宜しいでしょうか、まぁ、そういう時期が御座います。
クリスマスとかバレンタインとかね。で、今回はその中の一つ「エイプリルフール」に焦点を当てた作品のご紹介。
というわけで、今回は「Fly me to the sky!」さんの『クイズ 地球人の証明』です。


エイプリルフールの企画として作られた作品を列挙してくれるような、便利なサイトもあったりするわけですが、ここをご覧の皆さんは、きっとここにそんな手間暇の掛かる作業を期待してはいないでしょうw
私自身、そうした手間暇掛けて列挙したサイトを見させて頂く、或いはプレイする作品の参考にさせて頂く事はあれど、「よっしゃ! 俺も祭りを盛り上げるぜ!」みたいに、積極的な参加はちょっと尻込みしてしまいます。
それに何より、ここのコンセプトは「草の根活動」ですから、ね。

さて、作品の中身に入っていきたいと思うのですが、エイプリルフールの企画ですから、ネタバレは極力しない方向で、ざっくりと語っていけたらな、と思います。

『Space Freeters!』という作品がやはり、あいはらさんの作品であって、凄くSFしているというか、それまでのリリースとは違った方向性で面白かったわけですが、本作も結構SFっぽい部分があったな、というのが第一印象。

主人公は宇宙移民。地球というのは宇宙移民にとって「あこがれの地」と化した22世紀。
地球に降り立つ、というのは旅行感覚では出来ず、何かしらの資格を満たしたものでないと無理、というそういう設定でした。
その資格の一つが、「クイズ 地球人の証明」なる放送番組に出演し、一定数以上の正解率をあげる事で、云ってみれば「クイズ」が作品の本体部分、というそういう印象でしょうか。

エイプリルフールだからって、「ウソ問題」とかそういうのは出てきませんw 念のため。
凄く全うなクイズが出てきます。「これは誰でも分かるよね」というものから、「こんなのしらねーよ」と思わず匙を投げたくなるような、そういう問題までバラエティに富んでいました。
ただ、全体で見ると難易度調整が絶妙ですよね。普通にプレイすると、ギリギリ「地球行き」の資格を得られるかどうかって所で(私、初回では駄目でした……)、二度目のプレイが苦にならない感じ。
二度で駄目でも三度もやれば、きっとエンド1を見ることが出来るでしょう(全部でエンドは3つ)。

クイズが作品の本体、だとしたら、それを包むガワが本作の設定というか、「エイプリルフール」的な部分なんでしょう。
先日、「内容」と「シナリオ」の違いについて、思うところを述べたのですが、アレは自分で云うのもなんですが、意外とイイ線いってるんじゃないかな? なんて思うんですよ。
本作で云えば、22世紀であるとか、地球が憧れの土地であり、限られた人しか住むことが出来ない、とかそういう設定が「内容」で、クイズは「シナリオ」っていう感じでしょうか。
本作のようなタイプだと、ちょっと無理が出てきちゃう分け方ではあるんですが、ガワとナカミって事ですな。

で……折角の美味しい所をネタバレしちゃうのも興ざめですし、クイズの解答を載せちゃうってのも、良くないですよねぇ……。
となると、又、「恐らく私くらい」しかしないような、そういう突っ込み所を探して、そこをほじくっていく、といういつものスタイルで……w


今回、突っ込もうと思っているのは、クイズの一つ「日本」に関するクイズです。
何の気無しにプレイ(クイズに解答)していて、「これは難問だぞ……」と思ったものがあったんです。それは『土佐日記』に関する問題。

『土佐日記』とは何か? みたいな事を語ると、きっとクイズの解答に限りなく接近していくので、それは避けましょう。まぁ、超有名古典の一つですよ。
ボカして書くと、本当にあれが正解でいいの? という疑問があるんです。

しょーがないから、書庫で参考になりそうな本を持ってきて読んでみたのですが、どうも私はアレが正解、というのはやっぱり違和感が……。
『土佐日記』に限らず、古典作品って多いですよね。『源氏物語』とか『更級日記』とか、或いは『古今和歌集』とか。で、いずれも何百年も前、場合によっては1000年以上も前の人がそもそも書いた本です。

多分……ここまで異論はないかと思います。
問題なのは、「今私達が読むことの出来る本」と「1000年前に作者が書いた本」の内容や体裁に違いがあるのか? って事なんです。
体裁って事で考えれば、文庫本とか現代では普及していますから、きっと1000年前、和紙に一字一句筆で書かれたものとは違います。そう、オリジナルは「作者自らが筆で書いた最初の一冊」という事になります。

で、その本の評判が良ければ、周りの人が「ちょっと貸してくれよ」とか何とかいって、そのオリジナルの一冊を借り受けるんです。そして、自分でそれを書き写す。コピー機なんてないですからね。
その書き写した人を他の人に貸して、他の人が又書き写して……。なんてやっていくんです。

ちょっと分かりにくくなりましたね。
ここらで少し整理してみましょう。
最初に作品を書いた人をAさんとします。
Aさんが作品を書いて、身近な人たちに見せて回っていたとします。するとその本に関心を持ったBさんが、貸してくれ、とAさんに申し出るわけです。簡単に示すと、

A → B (図1)

という事です。
で、Bさんは「コレクションが増えたぜ」とか何とかいいながら、やっぱり身近な人に自分が筆写した本を見せて回ります。すると、その本に関心を持ったCさんが、「おっ、それいいじゃん! 貸してくれよ」と云ってくるわけで、勿論Bさんは快諾します。

B → C (図2)

そうこうしている内に、元々の作者であるAさんに、Dさんという人が「最近よぉ、BとかCの界隈であんたの本が話題になってるんだが、一つ、貸してくれないかい? 俺、BとCとは実は仲が悪くて貸してくれって云えねぇんだよ」と、話を持ちかけるわけですw
勿論、Aさんは快諾します。すると、

A → D (図3)

という図も出来上がります。
話を単純化する為、ここいらで切っておきましょう。

さて、問題です。BさんがAさんから借りて書き写した本と、DさんがAさんから借りて書き写した本、中身は一緒でしょうか? それとも違うでしょうか?

答え。
分かりません。

いや、本当にそうとしか答えようがないんです。


それじゃ、問2。BさんがAさんから借りて書き写した本と、CさんがBさんから借りて書き写した本、中身は一緒でしょうか? それとも違うでしょうか?

答え。
分かりません。

いや、マジで……w
最初の問いは、図1でBさんの手元に残る筆写本と、図3でDさんの手元に残る筆写本に差異があるのかどうか? って事です。

うんと単純に考えれば、「差異はない。同じ原典から写してるんだから」という答えも出てきそうですが、そうもいかない所が世の中の複雑な所。
というのは、BさんはAさんから借りた本を写している最中に、「あれ? ここ、字間違ってるじゃん。直しておこう」とか何とか云って、自分の手元に残す筆写本に「手を入れている」可能性があるからです。
一方、Dさんは書き写している最中に「おや? ここの字に違和感があるんだが……。うーん、だけれどもAさんの書いたモノを尊重して、特に直したりはしないで忠実にコピーしよう」と考えているかもしれません。

そうなると、同じAさんから借りた本でも、Bさんが写したAのコピーと、Dさんが写したAのコピーでは差異が生じてしまいます。

問2も全く同じで、Aをコピーして「手直し」をした本を書き写そうと思ったCさんは、書写している最中に「あれ? 何かここ表現おかしくない? どれ、ちょっと直すか……」とか何とか云って、又、Aを改竄したBの本に更に「手を入れて」しまいます。

こういう事が、活字なるものが普及(日本の場合だと版木かな?)するまで、延々と繰り返されるわけです。
すると、1000年経った今、私達が目にする本は、そもそものオリジナルであるAさんの書いたものと、微妙に違ってくるわけですよ。
或いは、今、私達が目にする本の中にも「何種類もヴァリエーションがある」なんて事態に。「読みにくいなぁ」と思った所をバッサリカットしちゃったり、「より分かりやすい表現に改め」たり、なんて事を写す人がやっていくと「本物はどれよ?」とw
もっと細かい所だと、一枚の紙に「何行何字書き」にするかって部分でも違いが出てくるでしょ? 本当にAをそのまんんま行数字数まで含めて綺麗に写し取るのか、或いは物理的なサイズに合わせて、そこらへんは臨機応変にやっちゃうのか。

こういう本が書写されていく過程で枝分かれしていったものを、系統とか本文系統とか呼びます。まんまですね。
『源氏物語』なんて結構凄いんですよ。大きく分けて三つにグルーピング出来るんですが(2系統+その他)、膨大な量のヴァリアントが生まれています。
で、「いかに最初のAさんの書いたモノに近づくか?」というのが、学者の一つのお仕事なわけです。色々な系統を付き合わせて、良いものを選び悪いものを捨てやっていくんですが、その作業を本文批判とか、カッコつけてテクストクリティークとか云うんです。

私は日本の古典を例に挙げて説明したのですが、この手の作業は、恐らく『聖書』が一番大変だと思います。。そもそも日本のそれだって、西洋の手法を取り入れていますし、その大本は『聖書』の原典復元にあるはずですから。


さて、ドハデに脱線しているわけですが、ここいらで話を戻すと……。
『土佐日記』の場合は、非常に例外的で「ほぼ100%」原典までさかのぼれます。
とある系統をベースにして、その不備を他の系統で補う事でそれが可能になるんですが、そのベースにしている本の一部、ちょうど冒頭部分の写真があって、そこにはアレが映ってるんです……。

って事なんですw
となると、あの正解は果たして本当に正解なのかなぁ? と思えてきちゃうんですよw
いや、絶対に、賭けてもいいですけど、私以外気にならないマジでどうでもいい箇所なんですよ?w まぁ、そういう「あまり他の人がしないであろう突っ込み」をする所が、一つのウリなので、ご容赦下さい。。

寧ろ、『土佐日記』のクイズで云えば、「そうともいえるし、そうでないともいえる」という微妙なものも解答に含まれていて、そちらの方が気になる人がいるかも。
けど、これはクイズ。しかもノベルゲームです。「一般的」な「常識」で答えれば、まぁ大丈夫。そして下らない所に突っ込みを入れない方がきっといいハズです。


凄い量になっちゃいましたねぇ……。
クイズが本体でありながらも、微妙にシニカルな「虚構」が入った作品でした。
「ウソだよーん」的な明るい感じじゃなくて、少し不安感をかき立てるようなものですが、それ故にエイプリルフールの一発企画でありながらも、ちょっと深い「作品」になってるんじゃないでしょうか?

クイズに自信のあるかたも無いかたも、エイプリルフールの企画コンプリートを狙っている方も、是非プレイしてみて下さい。

それでは、また。
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by s-kuzumi | 2010-04-02 22:43 | サウンドノベル


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