2010年 04月 26日

フリーサウンドノベルレビュー 『Merry X'mas you, for your closed world, and you...』

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今日の副題 「ノベルゲーマーの為のホラー」

※吟醸
ジャンル:メタメタフィクションノベルゲーム
プレイ時間:4~5時間ほど。
その他:選択肢無し、一本道。グロテスク描写アリ、苦手な人は注意。
システム:吉里吉里/KAG

制作年:2010/1/19
容量(圧縮時):77.4MB



道玄斎です、こんばんは。
ちょっとこの所、ドタバタしていて中々ゲームをプレイする事が出来なかったのですが、やっとプレイしたかった作品を一本読了したので、久々にレビューを。
というわけで、今回は「喘葉の森」さん(でいいのかな?)の『Merry X'mas you, for your closed world, and you...』です。
良かった点

・ノベルゲームのタブー……というか、そこに潜む狂気について極めて真面目に追求している点、非常に興味深い。

気になった点

・ラストの方になってくると、少し頭が痛くなってくるw

ストーリーは、フリーゲーム総合サイトの方から引用しておきましょう。
背景素材が用意されていないがために学校から出られない。
立ち絵素材が用意されていないがために男キャラが登場しない。
定型的な言動しかできないおよそ脳を所有しているとは思えないヒロインたち。
あまりにも乱雑に構成された脚本。
ご都合主義の主人公補正。恣意的な設定。

そして主人公は、自分がそんな糞くだらない物語作品の主人公をやらされているのだと自覚している。
彼は主人公でありながら観客でもある。
主人公でありながら観客として自らの物語を自らで俯瞰する。
なにかそれらしい伏線が貼られようものなら、物語がその秘密を明らかにする前に自力で考察し調べ仮説を導き、終いには暴いてしまう。
そして「こんなものか」とため息をつく。

学校から出られない。会話の通じる人間がいない。息の詰まる閉塞感。
この世界の運行はトップダウン的な単一意志に操られている。
作者≒神の操り糸が透けて見える。
主人公はひたすらその事実に刃向かう。

ちょっと長目の引用になっちゃいましたね。


さて、本作の手触りを伝える事は相当困難です。
世に流布している作品の多くは「ストーリー」が存在しています。
こうやってレビューを書く際にも、そのストーリーに沿っていったり、はたまたそのストーリーの中で自分の気に入った点、気になった点、つまり個々のエピソードに焦点を当ててもいいわけです。

最近、自分の中でも少し「ノベルゲーム」に相対する時、軸となるようなそういう視点が得られたと思っていたのですが、そうしたものを全部一旦白紙に戻してしまいたくなる……そんな作品でした。

のっけから脱線で申し訳ないのですが、最近、ノベルゲーム/サウンドノベルは大凡【内容】と【シナリオ】という二つの軸で見ていくといいかな? と考えているわけです。
いや、以前から全くそういう見方をしていなかったのか、と云われればそんな事はなくて。断片的にそういう見方を採用していたり、うっすらとそれに気がついていた事も又事実。要はちゃんと言語化出来るようになった、という事です。

何度か書いているので、お馴染みの人にはお馴染みかもしれませんが、映画とかで考えれば、非常に明快になります(勿論映画とノベルゲームはイコールではないけれども)。
『魔女の宅急便』という映画を例にしてみれば、

・新米魔女の奮闘記

という、作品全体を貫く基本の設定、それが【内容】です。
一方で、

・パン屋さんに住み込み、宅急便屋を始める。

・ニシンのパイを届けて厭な顔をされる。

・彼氏(らしき存在)が出来る。

こういう個々のエピソードが【シナリオ】という事になるのではないか、と。
【内容】が【シナリオ】に活きてこないといけないわけですし、逆に【シナリオ】の方でもその【内容】に規定され、その【内容】を活かし十分説明する力を持っていないといけない。
いや、「いけない」って事はないですけれどもw

今まで、それなりに長くノベルゲームと付き合ってきて、それなりの本数をプレイして、それなりの数のレビューを書いてきたわけですが、こうした考え方はブログを読み返して頂ければ、断片的に出ていると思います。

で、本作の場合、【内容】がかなり掴みにくいんです。
「ノベルゲームの世界(?)に入った“人間”があれこれと悩む」というのが大筋だとしても、それが【内容】か? と云われればちょっと心許ない。
無理を承知で書こうとすれば「ノベルゲームを通じて、ノベルゲームとは何ぞや? 人間とは何ぞや? という大問題に取り組む」という感じ……かも。

普段、何気なくノベルゲームをプレイします。
そこには、何の疑いもなく、可愛らしい女の子が出てきて主人公の周りでうろちょろしています。女の子って云っても複数居る事がほとんどで、おしとやかな感じの子、にぎやかし系の子、或いはお嬢様とバラエティに富んでいるハズです。
その子達にプラスして、友人キャラが何人か、そして主人公達が立ち寄る先に居るべき人物が何人か、と精々10人くらいが、登場人物の数として限界です。モブキャラは除きますよ? 勿論。

主人公の人間関係というのは、その限りなく小さな枠の中に納められているわけです。
主人公の行動範囲も、「背景が用意されている所」に限定されます。
【内容】が決定していれば、その【内容】を描く為、必要な【シナリオ】で事足りる、という当たり前の話です。

よって【内容】がしっかりしていれば、【シナリオ】も自ずと決定されていきます。
例えば、「最後に全員死亡する」というのが【内容】だとしても、それを実現させる為の【シナリオ】は無限に想定出来ます。つまり【内容】として、適切でないんですね。
ところが、例えば「死なないはずの種族が全員死亡する」とか、ちょっぴり手を入れてやると、【シナリオ】は或る程度形になってきます。
「何故、死なない種族が存在しているのか?」「どういった種族で、どういった特徴があるのか?」「そうした種族が存在出来るのは、どういった世界なのか?」といった背景は勿論、【シナリオ】に組み込まないとマズイと思いますし、そうした背景的な説明と同時に「では、どういった条件で死亡するのか?」というのが、ラストへ繋がる重要な【シナリオ】(か、その一部)になると思います。

っと、脱線気味ですね……。
ところが、本作の場合、「背景素材が無い」という理由で、学校の外から出ることが出来なくなった“人間”が主人公だったりしてw
さっきから、本作の主人公(?)を指す際に「“ ”」を付けていますが、これは、普段一般で使用される人間を指していて、物語の「記号としての人間」ではない、という事を示したいだけです。。

そして、そんな“人間”が「ノベルゲーム的な世界」に何故か分からないけれども、入ってしまい、「そんな世界は本当に世界たりえているのか?」というような、かなり哲学的な話に進んでいく事に……。

ヒロインの身を包むあの制服。何故、活動の邪魔になるであろう位置にあんなに大きなリボンが付いているのか? 何故、もつれ合って転ぶと、女の子が下になり、こちらが女の子の胸に手を置いていないといけないのか? 何故、キャラクターは人体の構造を無視した作りなのか? 何故、生徒会にあんなに権限があるのか? 何故、購買では人気パンが売り切れていなきゃいけないのか?w

これらの疑問は、所謂「お約束」で処理出来てしまう、事柄で真面目に考えるのはちょっと馬鹿馬鹿しい部分でもあります。
が、それを相当真剣に真面目に考え、取り組んでいる所に本作の大きな特徴があるのではないかと。
ノベルゲーム的な「あたりまえ」に対して反省を促すような、少し大げさに云えばそんな感じですね。
改めて考えてみれば、そうした当たり前の前提に対して目を向けてみると、凄く怖いですよね。それもノベルゲームに漬かっていればいるほど恐さが増します……w
何気なくプレイしてはいるけれども、一体「この世界は何なんだ?」と。

こうした「ノベルゲームという前提」を作品の一つのテーマにしちゃえる辺り、作者さんは相当、色々なタイプのゲームをプレイしているんじゃないかな、と思います。
加えて、物凄く知識が豊富……。
特に、後半、話がかなり哲学的なものになってきたりして、少し頭が痛くなる部分はあるんですけれどもw や、私の頭が悪いだけかもw


こうした、所謂超王道的な設定、に対して、私個人で思う事はあります。
一つ。
「ノベルゲームでのリアリティと現実という意味でのリアリティは別物」
という事。

これも当たり前の事だと思います。
良く私も何の気無しに「リアリティ」という言葉を使っちゃうんですが、ノベルゲームで「リアルに見える」描写が、必ずしも「現実で本当にあるかどうか」と云ったら怪しいですよね。
ノベルゲームはノベルゲームというフォーマットで最も映える形で作られている、と思しいわけですから、そのフォーマットに合わせての最適化が必要になります。

“現実”に目を向けてみると「どう考えてもおかしい」という事は、本当に良くあるんですけれども、ノベルゲームという媒体でそれが自然だったら別にいいじゃない? とw 

王道的な設定というのは、きっと最初にソレを生み出して人がいて、フォロワーが出来て、更にそれを組み合わせたりする人が現れて……というプロセスで生み出されたものではないかと思います。
或る意味で、みんなが生み出してきたものの結晶というか。それによって「そうした世界」が「らしく」なるような力を持った、という方が正確かも。

みんなが好んでみんなが使って、「それらしい道具」としてためらいなく使えるようになったもの。
それが王道的な設定の一つの側面ではないかと思うのですが、どうでしょう?
勿論、あまりに紋切り型でそれがToo muchになっちゃうと、辛いものがあるのは事実。だけども、同じ道具を使って作品を創ったとしても、絶対に「同一」のものにはならないハズです。大筋はそっくり、だとしてもね。本当に同一のものが出てきたとしたら、それは盗作というかパクりというか、そっちの方に入っちゃうんじゃないかしら。

『水戸黄門』を見ても、毎回毎回同じ話ですよね? けれども、完全に「同一」か? って云われたらまた違うわけですし、相当似ている話があったとしても、それでも『水戸黄門』は人気があって、放送が続行している作品なんですな。
パターンとしてひとへに「好まれている」、というのも王道が存在する理由の一つでしょう。

作り手による微妙な解釈の差異、或いは利用の仕方、その設定を積極的に利用したりはたまた裏切ったり、そうした作り手の意識によって、王道は大化けする事もあるから侮れないんですよ。

今現在、王道と呼ばれるものに賞味期限はあるかもしれません。
きっとその時には、また新しい斬新なものが出てきて、それが新しい王道になって……と繰り返されていくと思うんですけれどもね。
いや、もしかしたら、王道は思ったより長く保持されるかも? 恋愛モノ、という事だったら『源氏物語』が書かれた(とされる)約1000年前から、恋愛の話を一つの軸にする、という基本構造は変わってません。
『源氏物語』を読めば分かるように、ツンツンした女の子も出てきますし(デレだした所で死んでしまうのが残念極まりない!)、おっとり従順な子もいるし、「思い出のあの人にそっくりな女の子」とかも居ますよねぇ。
【シナリオ】的な面からだと、「最愛の人の死亡」なんてのもちゃんと出てますし、所謂「第二部」的なものまであるんだから至れり尽くせりw

一方で、『源氏』や、その双璧を成す『狭衣物語』の設定を露骨に模倣する、という事も行われました。
大体、鎌倉時代~室町時代に掛けてなんですけれども、『源氏』或いは『狭衣』の所謂【シナリオ】部分をそのまま拝借して、使っちゃう、みたいな。
内容的には「コピーだから浅い」なんて云われる事も多いのですが、それは或る意味当たり前です。【内容】ではなく、【シナリオ】をコピーして【内容】にしてしまっているんですから。
元々は【内容】を構成する為の一ピースとしての【シナリオ】だったものを、【内容】を抜きにしてただ単に「美味しい場面」だけ持ってくる、というか。

けど、そうした作品が面白いのか面白くないのか? って云われたら面白いんですw
王道の持つ力、っていうのがありますし、そもそもそうやってフォロワーが居ない事には王道は王道になれないわけで。
ただ、【内容】を伴わなかった為に、室町以降さらっと、そうした物語達は生産されなくなっちゃうんですが、それは時代背景とか色々なものを考える必要がありそうです。


あー、なんか凄く長くなっちゃったなぁ……。
しょうがないから、このまま話を進めますw
もう一点、作品について思う事は、多分、これは折り込み済みだと思われるのですが、

・「ノベルゲームの世界はおかしい」という言及をまさしく「ノベルゲーム」が(で)行っている。

という、クレタ人は嘘つきだとクレタ人は云った、的な自己言及のパラドックスに陥っているような所が無きにしも非ず。
そこら辺を考えて、「メタ」じゃなくて「メタメタ」というジャンルにしていると思われるのですが、私もそろそろ頭が混乱してきましたw 


既存のノベルゲームの多くが取り入れている王道、に対して真面目に考えているようで、実は真面目に考える姿を笑っているのかもしれない……。そんな捉え所の無い不思議な手触りの作品でした。
先ほど考える事が「馬鹿馬鹿しい」と書いた、「ゲーム的な世界の異常さ」を考えてみる、というありそうで無かったテーマで、私自身も色々考える事が出来ましたし、作中で糾弾される(されてる……のかなぁ?)王道の設定を、逆手に取ったような面白さを感じる部分もあったので、今回は吟醸。

きっとノベルゲームに親しんでいればいるほど、作品を味わえるんじゃないかな? と思います。
云うなれば「ノベルゲーマーの為のホラー」。我こそは、という方は是非プレイしてみて下さい。


それでは、また。
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by s-kuzumi | 2010-04-26 22:50 | サウンドノベル | Comments(0)


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