久住女中本舗

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2008年 04月 15日

ノベルゲーム/サウンドノベルと日本文化論 講義vol.2

道玄斎です、こんばんは。
今日も今日とて疲れました。色々と立て込んでいるとつまらない事で腹を立てたりして、厭ですねぇ。もう少しおおらかな不動心を手に入れたい所なのですが……。

さて、「ノベルゲーム/サウンドノベルと日本文化論」もこれで二回目の講義となります。
「こんなの見にきてんじゃねぇんだよ」と仰る方もいらっしゃいましょうが、どうぞお付き合い下さいませ。
勿論、講義中はお酒は一切呑んでおりません!今日は大吟醸の酒だねのまんじゅうは食べていますが。コーヒーカップを持って教壇に上がる先生なんて昔はいましたし、まんじゅうくらい皆様も大目にみて下さるでしょう?


■前回のおさらい

前回は、あまりにもくだらない喩えを使って(例の東京タワーとエッフェル塔とか、純喫茶とメイド喫茶とか)「オタクとはなにか?」という問い掛けとその解答(の一つ)を示してみました。
要するに、複数のデータベースを頭の中に持っていて、それらを組み合わせる事でモノを考える事が出来る能力を持った人、それをオタクと呼びました。
単一のデータベースだけ持っている人は「マニア」とか「達人」とか呼ばれうるけれども、オタクじゃない、と。
まぁ、実際の所オタクの持つデータベースってのが凄い膨大な量なのか?っていうと、それは恐らく個々人による差があると思います。
例えば、三つくらいのジャンルに関する三つのデータベースを持っている人が、それぞれの道で「達人」と呼ばれうるような人に勝てるか?っていったらそれはまた別問題。
達人のデータベースの量や精度が10だとして、オタクのデータベースの量や精度は5くらいかもしれないし、或いは8とかそのくらいまでの人もいるかもしれない。はたまた3くらいの人もいてもいい。

大事なのは、「単一のモノに詳しいのではなく、複数の事柄にそれなりに詳しい」という事なのです。まぁ、この複数ってあいまいな言い方もアレなので、この際言ってしまえば「二つ以上」のデータベースを持っており、且つ、その二つ以上のデータベースを組み合わせる事で、一見すると関係なさそうな(あるいは関係がありそうな)もののミッシングリンクを見つけていく事が出来る人、これをオタクと呼びました。

大体、前回のおさらいはこの辺りでよいでしょうか?
では、第二回目の講義の、本題に入っていきましょう。


■古典文学ってオタク的?

さて、みなさんが中学、高校でさんざん厭な思いをしたであろう、古典についてお話をしていきましょう。
古典文学っていうとどういうイメージを皆様は持たれますか?
ゆくかわのながれはたへずしてしかももとのみずにあらず……

なんてフレーズが出てくる人もいれば、
春はあけぼのやうやうしろくなりゆくやまぎは……

なんてのを覚えている人がいるかもしれません。
少し古典が好きだった人なんかは、
いづれの御ときには女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに……

といった『源氏物語』の一節を覚えている人もいるでしょう。そういえば、百人一首なんかの歌をいまだに覚えている人は結構多そうですね。
ちなみに、私は中学校~高校二年くらいまで古典が大嫌いでしたので、百人一首なんて殆ど覚えていません。
中学の時に「百人一首大会」なるものがあって、全校生徒が強制参加させられたりしたのですが、私は札(和歌)を一切覚えず、相手の手の動きだけ見て、相手が取ろうとした札を先回りして取る、という技術だけで二位の銀賞を頂いてしまった事が……w

まぁ、そんな事は話の枕というヤツで、本題はここから。
私が思うに、古典文学ってとってもとってもオタク的なんじゃないでしょうか?というお話です。

古典って言えば、先に色々挙げてみた「古典文学」もそうですけれども、「古典芸能」なんてのが日本にはあって、古典芸能の家の人は妙に偉そうな顔をしていたりする。しかも若い女優に手をつけるのが得意なんて人もいたりしてw
まぁ、イメージとして何となく「古典」ってのが付くと「堅苦しい」とか「伝統が」とかそういう事を考えてしまいがちですが、私の考えではさにあらず。
寧ろ、古典って「アニメ」とか「マンガ」とかに物凄く似てると思うのですよ。勿論「ノベルゲーム」にもね。

っと、第二回目にしてやっとノベルゲームが俎上に上がりました。
兎に角、古典は「ライト」なものだっていう事を分かって頂きたい。
先ず、この際だから、話を簡略化しましょう。

「古典って言ってもよぉ、軍記とか紀行文とか色々あるじゃんかよ?」

と言われてしまっては困るのですw
取り敢えず、「マンガ」や「アニメ」或いは「ノベルゲーム」と同じ「創作ストーリー」の古典文学を「古典」と定義しておきましょうか。
どういうのがあるか挙げろって?まぁ、思いつくままにいくつか挙げてみましょう。細かい成立年代とかはあんまり考えないで、載せますよ。

『竹取物語』
(この竹取の前辺りに、今は無くなってしまった物語―これを散逸するといいます―の『はこやの刀自』なんて作品もあるみたいです。結構竹取に似てる所もあるって話だよ)

『宇津保物語』

『源氏物語』

『狭衣物語』

『とりかへばや』
(正確に言うならば『今とりかへばや』かな?元々あった『とりかへばや』は散逸しています。今現存しているのは、リメイク版なのです。そう、コミックメーカー製だった『TRUE REMENBRANCE』がリメイクされて吉里吉里/KAGになったくらいの違いがあるのです。ですから、今私たちの読むことの出来る『とりかへばや』を『今とりかへばや』と呼び、元々の『とりかへばや』と区別するわけですね)

『浜松中納言物語』

『松浦宮物語』


大体、こんな所でしょうか?
この中のいくつかの作品については、国語の時間に暗記させられたり、或いは教科書に載っていたなんて事もあるでしょう。
先ほど、『TRUE REMENBRANCE』という名作ノベルゲームを挙げましたが、基本的なジャンルはこれと同じ「創作ストーリー」です。まぁ、一口に創作っていっても色々あるけれどもね。基本として、という意味で捉えて下さい。

つらつらと挙げた古典作品ですが、どれもこれも「恋愛」小説だと思って下さい。
なんて言うと怒られちゃいそうだけどもw 事実恋愛を抜きにして成立し得ないのですよ、これらの作品は。言ってしまえば「恋愛モノ」です。
勿論、ここでレビューしたりしている作品で私が「恋愛モノ」と呼んでいる作品がいくつかあるわけですが、そうした作品が「恋愛だけ」で構成されているのではない、という事はご承知の通り。色んなストーリーの要素が絡み合って成立している。けれども、比重として恋愛が重い。
大体、今挙げた古典もそのくらいのイメージで捉えて下さると良いのではないでしょうか。

さて、如何でしょう?
「古典」とここで定義した作品の全てが、実は「恋愛モノ」だったのです。
大分、ライトな感じがしてきませんか?
まだ、足りない?

そうね、じゃあ、『源氏物語』をして「物語のいできはじめの祖」と呼ばしめた『竹取物語』を詳しく見ていきましょう。
これは例の「かぐや姫」のお話です。かぐや姫ってフォークソングのアレじゃないですよ?
意外と、『竹取物語』読んだことのある人が少なそうなので、簡単に概要を説明しましょう。

ある日、お爺さんが野山にまじりて竹をとりつつ、色んな事に使って生計を立てていたら、ある日根本が光ってる竹があって、切ってみたら、十センチくらいの可愛い女の子が出てきました。
その女の子を見つけてからというもの、お爺さんは竹の中に金が入っているのを発見したりして、非常に富み栄えたのでした。
女の子は、あっという間に成長して最高の美人になりました。彼女の美しさを聞きつけた五人の男が出現しました。彼らはアノ手コノ手で、女の子(以下、かぐや姫に統一しちゃいます)に求婚するのでした。


この求婚の顛末までが前半から後半頭くらいまでのストーリーの流れ。
だけれども、かぐや姫は誰からの求婚も受け入れないで、物憂げにため息ばっかりついている。で、求婚者をあしらう為に、かぐや姫は無理難題を出して男達を撃退しようとします。
この難題にまつわる話が、かなり面白いのですよ。言葉の由来譚になっていたりするわけですが、ツバメの子安貝を捕ってこい、と無理を言われた男は、結局ツバメの糞をゲットしてしまったり……。

どうでしょう?ちょっと面白いと思いませんか?ぶっちゃけ、良くある学園モノの男女入れ替えパターンみたいじゃありませんか?w
男はやったら恋愛に奥手(しかも致命的に鈍い)で、女の子(しかも複数!)からのアプローチに全然気がつかない。アノ手コノ手で男を振り向かせるべく行動する女の子、みたいなw
まだ、だめ?
それなら『源氏物語』で。

『源氏物語』の主人公的存在の光源氏と呼ばれている男は、10歳の女の子を誘拐します。

っと、皆さんの目が輝き出しましたね?w
勿論、皆さんの目が輝いているのは、これが「フィクション」だからですよね?現実に変な事をしちゃ駄目ですよ。分かってると思いますが。フィクションをフィクションの中で楽しむ、これも良いオタクの特技でしょうかね。
何か事件が起きると「アニメが」「マンガが」ってしたり顔でコメントする、馬鹿なコメンテーターがいるけれども、それなら殺人がつきものの「サスペンスドラマ」とかはどうなるんだよ?
それに「夢一杯、希望一杯」のドラマとかやってても、一向に若い者が「夢一杯、希望一杯」にならないじゃないか。つまり、テレビやマンガの影響なんてほぼゼロって言っていいと思います。

少し脱線してしまいました。
今ざっと見てきましたように、古典はとてもライトなものです。
「創作ストーリー」であり、「恋愛モノ」であり、且つ「サクセスストーリー」でもあったりします。尤も、中には恋愛に失敗した挙げ句、望んでもいないサクセスを手にしちゃうなんてお話もあるわけですが(『狭衣物語』とか)。

まぁ、物語だけを挙げてもアレなんで、『枕草子』とかにも触れておきましょうか。
『枕草子』結構読むの難しいですよね。私はニガテです。
けれども、アレ「ブログ」なんですよ、簡単に言えば。って、私が言ってるわけじゃないんですよ?古典文学の学者の専門雑誌に『枕草子』をブログとして捉えている、研究者が言ってたんですから!
けれども、とっても明快なとらえ方だと思いませんか?一応、従来的な『枕草子』のとらえ方って(枕草子自体、三種類に分かれるんだけども、それは無視します)「日記的章段」とか「随想的章段」とか、なんか、そういう面白みのない分け方をしていました。一つの作品の中で、ね。

だけれども、ブログとして捉えれば、このブログがそうであるように、日記的な記事があったり、或いはサウンドノベルのレビューがあったり、はたまた宣伝があったり、随想めいた事が書いてあったりと結構多様になっているハズ。
そりゃ、好きなことを自由に書けるブログだったら、日記っぽい事を書くこともあるし、随想になってしまう事もあるわけで。

そういう考え方をしていると思しい、写本があって、学習院大学が持っている「能因本」という種類の『枕草子』の写本です。
私は影印本を持っているので(影印とは、写本を筆跡もそのままにまるまるコピーしたものだと思って下されば。だから例のミミズののたうち回ったような字になってます)、今確認してみると、最初のページに「山」とか「峯」とか「はし」、「かたはらいたき物」とかブログの「タグ」に相当するものが、示されていて、その「タグ」から記事を選択する事が出来るんですよね。


大分、古典文学が、現代の小説とか、ブログ、はたまたラノベとかノベルゲームと近い感触が分かったのではないでしょうか?古典だからって全然恐いことはなくて、寧ろ「昔も今と同じような事やってんなぁ」と思って貰えれば。

そういえば、先ほど「良いオタク」と言いました。
では「悪いオタク」とはなんぞや?という事になるので、これを説明して、今回の講義を終えたいと思います。

先日、某シナリオライターの方とご一緒しました(プロがお手本にしたいプロという凄いお方です。勿論ノベルゲームのシナリオライターですよ?)。
氏が言うには、「良いオタクと悪いオタクがいる。一つの事だけにしか熱中出来ない(しない)のは悪いオタクで、恐らく視野狭窄に陥っている」と、まぁそんな事を話して下さいました。

氏の言いたかった事を、前回の講義と合わせて考えてみると、実は「データベースの数」の多寡(というか、1or複数)で「良いオタク」「悪いオタク」を分けているような気がしてきます。
或る一つの分野では、死ぬほどマニアックだけれども、他の事には全く興味関心がありません、ってのは、あんまり宜しくない。それなりに他の分野に目配りしていた方が、自分の突き詰めている分野にとっても有益である。と、まぁ私なりに解釈するとそんな感じになってしまうのですが。

けれども、講義の目的とは外れるけれども、「自分が好きならそれはそれで全然OK」なんですよね。好き/嫌いまで他人に口出しされたくないもんね。
とはいへ、一応「オタクとノベルゲーム、そして日本文化」を絡めて講義していく関係上、「良いオタク」を推奨しておきますw


さて、第二回目の講義はこのへんでおしまいです。
第三回目は最終回の予定ですが、場合によっては四回目が最終回になるかも。
取り敢えず、今回の講義で抑えておいて欲しい事は、「古典と言われる『日本の伝統文化』が実は、ライトでラノベやアニメ、はたまたノベルゲームと共通する要素がいくつもあるぞ」と、その程度で結構です。

次回は、古典文学の発生の場と、現代日本のライトな創作物(ノベルゲームを含む)の発生の場を絡めていきたいと思っています。
私見では、この発生の場や、発生方法こそが、現代のライトな創作物と日本文化を結ぶ、決定的なものではないかと思っています。

そろそろ、文字ばっかりでうんざりだぜ、って方もどうぞ、最終回までお付き合い下さいまし。

それでは、次回の講義でお会いしましょう。
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by s-kuzumi | 2008-04-15 23:04 | 日々之雑記 | Comments(0)


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