久住女中本舗

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2008年 10月 02日

なんてことない日々之雑記vol.121

道玄斎です、こんばんは。

もうすっかり秋ですねぇ。
外を歩けば金木犀の良い香りがする季節になりました。私は金木犀の香り、大好きなんですよ。花の香りのナンバーワンです。少しこう、懐かしさみたいなものを感じるわけでして、昔の袖の香りがするわけじゃないですけれども、なんだか優しい心持ちになれる気がします。

そういえば、近所で取れた栗を茹でて食べました。
採れたてだったので、美味しかったですよ、ホクホクしていて。あんまり甘くはなかったけれども、こういう時代だからこそ季節感を大切にしたいところ。

さて、またいつものようにとりとめのないお話でもしていきましょうか。



■ライトな文化と日本文学

良く人に言われます。

「何で、オタク的なものが好きなの?」

と。
これも何度も語っているように、私の大好きな日本の文化だとか日本文学と、ライトな文化って絶対に連続性があるんですよね。
いつもここで取り上げているサウンドノベル/ノベルゲームですが、これってもう、古典文学の世界とあんまり変わりないんですよ。今年は『源氏物語』が(少なくとも記録上)出てきて丁度、1000年の年ですけれども、1000年前と現代の「物語を作る」「物語を提供する」という姿勢って、多分全然変わってない。

ノベルゲームだと、絵が付いてるじゃないか? なんて言われそうですけれども、1000年くらい前は物語を読みつつ(或いは、誰かに読ませつつ)、別冊のイラスト集を見て物語を楽しんでいた、という説があります。
多分、全部が全部そうってわけじゃないと思いますけれども、そこそこ一般的な読み方だったように思えますね。そう考えると、そこにノベルゲームとの違いを求めると、もう「音楽」とか「効果音」とかそういうレベルでしかないんですね。ま、そこがノベルゲームと小説(イラスト付きの、あるよね?)の大きな違いなんですが。いみじくもサウンドノベルなんて呼び名もあるわけですしね。

私がフリーのものに拘る理由の一つにも、そういう「日本文化」とか「日本文学」との連続性をより強く感じるからなんです。もっと狭く言えば「古典」と、という言い方になりましょうか。
というのも、1000年前は、「頒布」という形態はなくて、基本は「フリー」。誰かが書いて、そいつをみんなで回し読みするわけです。気に入った人がいれば、それを書き写しちゃえばOK。で、書き写したものを「これ、いいぜ」なんて他の人にまた回し読み。そしてまた、書き写して……。
と、まぁ、こんな感じ現代に残ってる古典というのは存在しているのであります。「これはこう書いた方がいいんじゃねぇ?」と思った人が文章を書き換えたり、シナリオを変えちゃったりなんてのも日常茶飯事。
「イベント」もあって、物語作りが達者な人(シナリオライター)達が集まって、新作お披露目会をやったりしていますよ。
でもって、更に作り手と読み手の境界線が曖昧なところも、フリーの、或いは同人のゲームの制作/享受事情に近い部分があります。実は、古典だって二次創作やリメイクが盛んだったりしますしね。


で、「何でオタク的なものが好きなのさ?」って言われても、日常生活に於いて、人にこういう話しをしたりするのは結構面倒だったり、言っても分かって貰えなかったりするのがジレンマ。


2008年で「文学」なんて言葉を大上段に振りかぶるのは、ちょっぴり気が引けるわけですが、文学って単語をポンと出された時に、「夏目漱石」とか「森鴎外」とか割と、「近代」の作家をイメージする人、多いんじゃないでしょうか?

近代と古典を繋ぐものってのは、私は寡聞にしてあまり知らないのですが、福永武彦が『今昔物語』のリメイクをやってましたね。福永武彦、知ってます? 近代BLの元祖とも言える『草の花』という名作を書いてます、なんて書き方をすると、真面目なファンに怒られちゃいそうです。
私の好きな作家の一人ですね。書いたものを読むと「頭の良い人はやっぱり違うぜ……」と感じてしまいます。

で、彼の『今昔物語』のリメイクは、とっても素晴らしくて、一番印象に残っているのが原作では「妖怪」とかの怪異として語られていた部分を「人間の仕業」と解釈して、原作に無い部分を付け加えて極めて「近代的」な“小説”にしているお話です。
人間の仕業っていっても、女の……。

ここまで読んで、「何でライトな文化の話をしていたのに、文学っぽい話にいつのまにかなってるのさ?」と疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方の為に、一つフォローを。

声優として活躍なさっている池澤春菜さん、彼女のおじいちゃんが福永武彦です。ほら、繋がったでしょ?w 私はそんなに声優さんに詳しいわけじゃないのですが(アクセス解析を見てみると「井村屋ほのか」さんでここにたどり着かれた方が多いんですが)、そうね、『マリア様がみてる』の由乃さんの声を当てていらっしゃる方、と聞けばピンと来る人も多いハズ。

いや、この話は結構有名なので、既にして知っていらっしゃる方も多いかも。
以前、池澤春菜さんの父上が小説家だって、聞いたことがあったわけですが、池澤夏樹が福永武彦の息子だとは知りませんでした。 昔、もしかしたら学校かなにかの教科書だったかもしれないんですが、どっかに池澤夏樹の文章が載っていて、読んだ瞬間「俺にはあわねぇ」と匙を投げてしまったので(文章がまずいとかじゃなくて、“テーマ”が厭だったんです)、彼の父親が福永武彦だと知って余計にびっくりした記憶が。

位相が違う問題を取り上げてしまったんですが、多分、一般に思われている以上に、ライトな文化と文学(あるいは文学だと思われているもの)って近い距離にあるんですよ。
けれども、まぁしたり顔の評論家の人とかの書いたモノを読むと、「最近の若者は本を読まないし、読んだとしてもイラストとかが付いてる軽い本しか読まん」なんて書いてあって、事実誤認も甚だしいと、密かに怒ってるんですw

もっと言えば、“文学”なるものが、その評論家の言うように「重め」のものになったのだって、せいぜいここ100年ちょいくらいの間でしょう。江戸時代までは「ライトなノベル」が物凄く流行ってました。明治になって坪内逍遙という人が、「外国で盛んな文学ってのをやっていこうぜ!」みたいな事を言い出して、二葉亭四迷という人が言文一致という文体の先駆けとなって近代の文学が発展してきました。

で、そんな近代文学の歴史の中で、大問題なのは「じゃあ、文学って何さ?」って問題です。
「何を書いたら文学なんだろう?」というのが実は自明でなかったんですね。
ほら、昔勉強しませんでした? 白樺派とか、そういう派閥の名前。あれって「俺達は○○を書くのが文学だと思うな!」という主張なんです。
文学とはなんぞや? という問いの答えが無かったから、こういう派閥が出来て「文学論争」なるものが出てきちゃうわけです。だから、たまに自称評論家みたいな人たちが「文学は……」なんて語り出しても、疑って掛かった方がいいんですよw 結局、「文学」ってものも一枚岩じゃなくて、解釈がそれぞれ異なっていたんですから。実は「文学」というラベルを付けて一緒くたに語るのは無理がある部分もある。

うんと卑近な例にすると、「萌えとはなんぞや?」という問い掛けがあって、「俺はネコミミ」とか「俺は妹」とか「あたしはBL」とか、まぁ色んな主張があって、人によってはサークルを作って活動しちゃうわけです。自分の萌えを求めてw 
白樺派だなんだってのも、こういう主張を持つ1サークルだったってわけですね。自分で言うのもアレなんだけども、結構分かりやすくない?w


結局今、「文学とはなにさ?」って問いに対する答えは出ていないし、敢えて言うなら「文章を使って表現するありとあらゆる活動」くらいの、アホみたいにレンジの博い言葉になってしまっているような部分もありますよね。
だから、私にとっては、当然そこにノベルゲーム/サウンドノベル、或いは『マリア様がみてる』みたいなライトノベルも入ってくる。だから、日本文学の流れの最先端として、そういうものを私自身が捉えているから、私はオタクなものが好きなのでした。
そういえば、池田亀鑑というすっごい古典文学(文献学)の大家の方は、若い頃、実はペンネームを使って『コバルト』(コバルト文庫の総本山だ)みたいな少女雑誌に、少女向けの小説を書いたりして糊口を凌いでおりましたw ね? 結構繋がってくるでしょ。


そうそう、脱線するんだけども、『マリア様がみてる』、新刊が出ましたねぇ。
いい歳なのに、本を手にレジに持っていくと、ちょっぴり恥ずかしいんですがw で、次巻にていよいよ(間に短編集を挟むか……?)祥子様も卒業です。
こっちも祐巳ちゃん宜しく、一巻からの思い出が走馬燈にように駆けめぐってきたわけですが、そこではたと気がついた。「実はマリみてのピークって三巻目の『いばらの森』だったんじゃないか?」って。

あの巻がなければ、もしかしたらここまで流行らなかったかもしれない、そのくらい衝撃的な巻なんですよ。なんかこう、祐巳ちゃんと祥子様の蜜月の関係を思いだそうとしても、実はあんまり思い出せないw なんだかすれ違いを繰り返してばっかりいたような……。その微妙に揺れる乙女心が見所の一つなんだけども、思い出すのは聖様ばっかり。しかも時折見せるシリアスな表情の聖様です。

波形で言うと、三巻目がピークであとは減衰していく、みたいな、なんかそんな印象です。
まぁ、時にアホみたいに良いお話が入ったりするから侮れないんだけどもね(『フレームオブマインド』の「不器用姫」は珠玉の傑作だと思う)。

どうやら、祥子様が卒業してもまだまだお話は続きそうですね。
意外と、視点人物が祐巳ちゃんからシフトするのかもしれない。瞳子とか、乃梨子とかに。そういや、元々マリみては、乃梨子視点の短編からが出発点じゃなかったっけ???



……って、こうやって書いていくとホント、きりがなくなっちゃうからこのへんで切りましょう。
あー、そうそう、明日辺り少しゲームをやる時間がとれそうです。やりたい作品、或いは紹介していただいた作品が未消化のままですので、フラストレーションも感じていたりします。ストレス解消、出来ればいいんですけれども。

それでは、また。
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by s-kuzumi | 2008-10-02 19:22 | 日々之雑記


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