2024年 05月 06日
道玄斎です、こんばんは。 今日も久しぶりにノベルゲームをプレイしてみましたので、レビューを。 評価:吟醸 ダウンロード先:ノベルゲームコレクション というわけで今回は「抹茶秋」さんの『十避行』です。 本作もまた、以前よりあるタイプの物語……と乱暴にはまとめることが出来ますが、丁寧に作られ、必ず何かしらプレイした人の心に響く作品になっているかと思います。 よかった点 ・丁寧で読みやすい文章。文章の一時ストップにもこだわりが ・内容も丁寧な描写でまとめられ、過不足が感じられない 気になった点 ・プレイする人の宗教観などによっては、受け入れがたい部分はあるかも タイトル、あるいは作品の説明文を見てすぐに気づくのは、「二人の死出の旅を描いた作品」だということ。 見ず知らずの二人がネットを通じて出会い、「最後の十日間」を過ごす旅に出る、という物語を貫くテーマはかなり早い段階で提示されます。 となると、プレイヤーとしては「最後は死ぬ」という結末それ自体は分かっているわけですから、色々と考えるわけです。 例えば、「二人にはどういう過去があって、そう考えるに至ったのか?」「本当にこの二人は死んでしまうか?」「あるいは最後の最後で死ぬことをやめて、生きるという選択を採るのか」などなど。 そうしたプレイヤーの想像、あるいは「期待感」が物語内容とリンクしながら、プレイを進めていくことに。 これは単純に物語を享受するという形より、より深く、プレイヤー自身が作品の中に踏み込みながら結末を見届ける役割を担うことを意味します。 また、タイトルが示している通り、リミットは十日間。 一日一日が消化されていくタイプの作品でもありますから、重めのテーマでありつつも、区切りが明確に存在しているためそこまで読み疲れをしてしまうこともありません。そして、物語内で一日一日進むにつれ、私達の持っていた期待感が解消されたり、あるいはさらに疑問を生んだり、プレイヤーの感情を揺り動かしてくれます。 この十日間の旅にはルールがあり、「結末を変えず、ハッピーエンドで迎えること」「お互いただの知り合い以上にならないこと」という制約があります。しかし、そうした制約が逆に物語に深みや幅を持たせています。 けど、この時点でプレイヤーとしては例の期待感が出てくるわけです。特に二番目の「お互いただの知り合い以上にならない」という制約は、そうした目的を持った男女が少しづつ交流を続けていくことで、「それ以上の関係になること」が予想されるわけで、それがどのような形で、どういうエピソードでそうなっていくのか、物語を読み進める推進力になっていくんですね。 そういえば、よかった点で挙げた文章ですが、先日プレイした『むかし、ふるさとでさ、』もそうでしたが、非常に丁寧な文章で好印象でした。 私がプレイしていて、ちょっといいなと思ったのが、句読点の使い方。要するに「。」や「、」です。 よくあるパターンは、句点「。」までは文章が一気に表示されるというタイプ。 けれども本作では、「、」で一時文章送りにストップが掛かるんですよね。 昨今、句読点を使う文章(特に句点)を以て「マルハラ」なんて言われたりしているのですが、私はどうしても句読点を使ってしまいます。 で、「、」にて文章の送りにストップが掛かることの何がよいのかといえば、「キャラクターが喋っている感じ」をよりリアルに感じるからです。 私達が普段、口頭にて話をする時、内容や雰囲気、伝えたい事の軽重で、微妙な「間」を持たせたりして喋っているはずなんです。意識しているかどうかは別として。 特に、本作の場合、登場人物たちが話す内容はセンシティブなものであったり、微妙な逡巡であったりするため、「。まで一気に表示されます」というスタイルだと、雰囲気が壊れてしまうんですね。 適度な「、」で一時ストップが掛かることによって、躊躇いであったり、現実に私達が行っている「間」を表現出来たりしているわけで、これは私は本作の演出において、地味ではあるものの、かなり有効な手法だと感じました。 十日間という時間設定も、長すぎず短すぎずでお見事でした。 少しづつ登場人物の人となりが分かっていくような、物語の進行に合わせた、キャラクターの内面の提示も少しづつプレイヤーを物語に引き込みます。 限られた期間の中で発生するイベント、出来事も過不足なく、結末に活きており、高い技量をもった作者さんだと推察されます。 死、もっと言えば自死をテーマにした作品って、以前『ナルキッソス』という作品が出て以降、爆発的に増えた気がします。 そうした作品の中には、正直『ナルキッソス』をただなぞっただけのような作品があったり、あるいはそれを超えていくような内容を提示してくれるような作品もあったり、要するにちょっとしたブームを生み出した印象があります。 本作の場合、長いスパンで見れば、そうした『ナルキッソス』以降の作品と見ることも出来ましょう。 しかし、その亜流とは一線を画する、丁寧に紡がれた良質の作品であること疑いの余地はありません。 一方で、自死そのものに対して、何かしら思う所があったり、宗教上的な理由から受け入れられない方もいらっしゃいましょう。 そうした方とそうでない方とでは、本作の評価はかなり違うかもしれないなぁ、とも素直に感じてしまいました。 私自身も最近、身近な人を自死で亡くしていますから、正直、本作をプレイするのは最初ちょっと抵抗がありました。 けれども、それはそれとしてハイクオリティの作品として楽しむことも出来ましたし、逆に、「そう考えざるを得なかった」人たちの気持ちに思いを馳せることが出来たような、そんな気もしています。 最後にちょっと蛇足ですが、『ナルキッソス』以降、自死をテーマとするような作品が増えてきたこと、先に述べました。 けれども、それは『ナルキッソス』という作品単体での影響はもちろんのこと、今の社会の閉塞感のある状況も、そうしたブームに影響があるのかもしれませんね。 「普通に生きる」ということのハードルが上がってしまった現在、そこに最後の救いを求める人が今日もこの国のどこかにいる。 私自身も、自分の経験を通じて、「俺もおそらくそうなるんだろうなぁ」と漠然とした予感を感じたりもしています。 本レビューでは、その是非については問いません。 私自身も是非を判断出来るような立場にありませんし、日々、自分の気持ちも揺れ動いているからです。 ともあれ、本作が真剣に、そして真面目にそうしたものを描いた作品であることは確か。 二人の「十避行」がどのような結末を迎えるのか、是非、ご自身で確かめてみて下さい。 それでは、また。
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by s-kuzumi
| 2024-05-06 14:38
| サウンドノベル
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2024年 05月 04日
今日の副題 「変わらないものの味わい」 道玄斎です、こんばんは。 随分ご無沙汰してしまっております。ノベルゲームのレビューを書くのも数年ぶり。 界隈の様相もすっかり変わっているのですが、一方で変わらないものっていうのもあるんですよね。 というわけで、今日はそんな作品のご紹介。 ふちのべいわきさんの『むかし、ふるさとでさ。』です。 そうそう。 もう、このご時世、ブラウザ上でも遊べる作品が増えているみたいですし、容量を記載したりする必要もなかろうということで、思い切ってそれまで書いていた各種情報はバッサリカットしてしまいました。 よかった点 ・作品のもつ「変わらないもの」の良さを再認識できる ・奇を衒わぬ王道的な作品が今でもリリースされていることに、ちょっとホッと出来る 気になった点 ・主人公の個性がやや薄いか? もはやスクリーンショット及びタイトル、あるいは上記リンクから読める紹介文にて、どういう作品であるか、その骨子はつかめると思います。 みなさんも一度や二度は、本作のような作品に触れたことがあるのではないでしょうか? 挫折、失望などによって打ちひしがれた主人公が、神様のような超常的な存在(ほぼ100%それは美しい女性の姿なのですが)と出会い、再起していく物語。 と、ストーリーに関しては、まぁひとまずはまとめられそうです。 けれども、よくよく考えてみると、これってかなり「物語らしい物語」なんだと思えるんです。 ノベルゲームでも、別のゲームでもあるいは小説とかでもいいんですが、何かの物語を思い出して欲しいんです。 多くの場合、「回復の物語」「挑戦の物語」とでも呼べそうな形を採っていませんか? 挫折からの回復が主題となっているノベルゲームは、過去(もう相当前だぞ……)私がプレイしてきた中にも、大量にありました。また、そこから「一歩踏み出し、人生にチャレンジしていく」様な物語というのも、やはり同じくらいたくさんあるんです。 もちろん、「回復→挑戦」というような流れを描く作品も多くありますし、あるいは各セクションというかパートの構造が「回復→挑戦」を推進力にして進んでいき、次のセクションに進んでいく、という形も定番中の定番です。 そう、本作のスタイルは、物語のある意味で一番シンプルな形なんです。 こうした作品が今以てリリースされていること、なんかホッとしますし、素直に嬉しくなっちゃいますね。 というわけで、作品のスタイルそのものは、私が盛んのノベルゲームをプレイしていた頃から、あるいはもっと言ってしまえば、物語というものが始まってから続いている「変わらないもの」なんです。 いくらなんでも言い過ぎじゃない? なんて声が聞こえてきそうだから書いちゃいますけど、日本の物語のオリジンって『竹取物語』だったりします。かぐや姫のアレです。 どうもかぐや姫は、月の世界で何か罪を犯したらしく、地上へ贖罪のために流刑のような形で転生しているんですよね。で、紆余曲折がありつつも、求婚者達に難題を吹っ掛け、純潔を貫くことで罪が赦され、最後は月の世界へと戻っていく。 「ダメな状態から復帰していく」ということを考えれば、これも「回復の物語」と言えそうです。 閑話休題。 ともあれ、物語の構造それ自体は昔から変わらないクラシカルなもの。 一方で、作中で描かれる「ふるさと」というのも変わらないものの象徴になっています。 私個人としては、2024年現在もこうした「変わらぬ作品」がリリースされることが、嬉しかったりするのです。 一応、選択肢があり、内容的な分岐は発生します。 どちらの選択肢を選んでも、登場人物やストーリー展開に変化があったりはしますが、本質的な部分での変化はありません。 そう「回復」への過程が異なるだけで、その本質はそのまま保持されています。 文章も丁寧ですし、読みやすい。 物語をある意味で究極的にシンプルに提示してくれています。 それはそれとして、こういう物語に触れることで、私達自身が「どう変化したのか」というのが、逆に浮き彫りになってくるような気もしているんです。 単純に「またこのパターンかよ」と切り捨ててしまうのか、あるいは何かしらの経験を積んだ人が、本作のような物語に触れ、そこに何か感じ取るものがあるのか否か。 シンプルな物語故に、その時その時、プレイする私達自身を移す鏡のような、そういう作品になっているのではないでしょうか? 物語の内容は分かっている。 おおよその展開も読める。けれども、私は結構それでも感動してしまったんです。 「こういうことが本当にあったならいいな」と、素直に感じてしまったというか。 生きていくということは挫折の繰り返しに他ならぬわけで。また歳を重ねることで、別れ……もっと言ってしまえば身近な人の死にも向き合っていく機会が増えます。 そうした経験の有無や多寡によって、こういう作品に対して感じ取れる部分はかなり変化していくように思えるのです。それはシンプル故の可能性というか、物語の内容そのものというより、物語の構造的な力というか、上手く表現できませんが、そういう感じ。 さて、気になった点としては、主人公の個性が薄味なんですよね。 自分の祖父に対しても、かなり丁寧な言葉遣いで話し、礼儀正しい好青年であることは伝わる。 けれども、主人公そのものの名前が出てこなかったり、主人公たるパーソナリティが薄いというのは指摘してもよいでしょう。 けど、これも敢えて個性を薄くすることによって、プレイヤーが主人公に自らを重ね合わせ易いようにした、とも考えられるから難しいところ。 とはいえ、挫折を経験した主人公の個性がもう少し出ていたほうが、最後の回復フェーズに於けるカタルシスがより得られたのではないかと、思う次第です。 一番最初の話に戻りますが、 挫折 → 回復 という超シンプルな図式があったとして、その「→」の部分にストーリーのキモやドラマがあるんですよね。 また、挫折が深ければ深いほど、それを回復していく過程に於いて様々なストーリーを展開させていくことが可能です。その挫折と回復の間の差が大きいほど、感動もまた大きくなる傾向もおそらくあるはずです。 その意味で、もう少し主人公の個性や、その内実に迫る部分があってもよかったのかな、と私は感じました。 というわけで、久しぶりに更新してしまいましたね。 次の更新がいつになるのか分かりませんが、すっかり今、浦島太郎状態になっている中で、本作に出会えたことはとてもよかったです。 まぁ、もう十分あれこれ書きましたから、この辺りでおしまいにしておきます。 それでは、また。
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by s-kuzumi
| 2024-05-04 20:40
| サウンドノベル
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2023年 07月 26日
道玄斎です、こんばんは。 大変ご無沙汰しております。 もうかれこれ3年程度、このブログを放置していたわけですけれども、いつも気にしてはいたのです。 けれども、移り変わりの激しいこの世界、「今のノベルゲームの世界はどうなっているのか?」、「自分のようなロートルは出る幕がないんじゃないか?」云々。 まぁ、今日はそういうノベルゲームの話ではなくて。 今まで、生きてきて最大限に悲しいことがあったということ。 ノベルゲームなんてプレイしていると、結構悲惨な結末を迎える作品ってあるんだけれども(2023年の今はどう?)、 その悲惨さって、私は割と「リアリティ」と結び付けて書いてきたような気がしていて。 人生とはままならぬもの。 どう足掻いても避けようのない悲惨な結末はある。 そう思って、そういうことを過去に書いてきた記憶もあるんです。 けれども、自分がその当事者になると、何とも言えず辛いですね……。 これは書いたことがあったかな? 昔、知り合いの女性が自死してしまったことがあったんです。 その時、彼女には婚約者もおり、結婚まで秒読みのような状況だったはずなんです。 けれども、社会生活の中でどうしても辛くなり……という。 私はその時、「あぁ、婚約者とか結婚とかそういうものは、ストッパーにならないんだ……」と、 物凄く衝撃を受けたんですね。 どう考えても、「そんなんだったら、とっとと会社辞めて結婚して、しばらく休んでなよ!」って言って あげたいし、当時もそう思いました。 自分の中で膨らんでいく「なんでだろう?」「なんで死を選ぶ必要があったのか?」という問いは、自死の ニュースや、話を聞くたびにいつも思い出していたのです。 けれども、現実って本当にそういう風に出来ていて。 自分が当事者になってしまうと、悲しくて悲しくて。けど、今は悲しいより寂しいが勝っているという感じ。 あっ、念のため書いておくと、私が自死をしたというわけではありません。 そうであるならば、これは幽霊が書いていることになっちゃいますからね。 今日は、本当は本当にグッと短く、「最悪のことがあった」くらいの本当に一言で〆ようと思っていたくらい だったのです。 けれども、久しぶりにこの場で何かを書いていると、少し昔の感覚が蘇って、無駄に長く書いてしまうという。 今、私がこれを読んでくれている人(いるのかなぁ?)に伝えたいことはただ一つ。 大切な人が生きているうちに、変な意地を張ったりせずに、時には本音で「君が大切なんだ」ってことを伝えて あげて欲しい、ということ。 ただ、ひたすら寂しい。 本当にそれだけ。
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by s-kuzumi
| 2023-07-26 23:56
| 日々之雑記
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2020年 08月 15日
今日の副題「“種”としてのノベルゲーム」 ジャンル:少し悲惨な純愛(?)ノベルゲーム プレイ時間:30分前後 その他:選択肢なし、一本道。15禁 システム:ティラノビルダー 制作年:2020/8/10 容量(圧縮時:108MB 道玄斎です、こんばんは。 今日はタイトルと、そしてイラストに惹かれた作品をプレイしてみました。 予想していたよりも尺が短く、また物語内容も少し悲惨なものでしたので、取り上げようか迷ったのですが、なんかノベルゲームそのものや、リアルな世界、あるいはそれを創作としてどう加工するのか、といったようなところを話す土台として、凄く適している作品なんじゃないかな、と思ったので通常の枠で取り上げようと思います。 というわけで、今回は霜枯草さんの『吹き溜まりの彼女』です。
ストーリーは、今回は私が簡単にまとめておきましょう。
と、こんな感じ。 すごくシンプルなスーリーを持った作品です。 生き別れの少女との出会い、同棲、そして別離、と、少女を軸にして三段階で内容を示せるくらい。 けど、のりしろというか、膨らませ方がたくさんあるなぁ、という可能性を感じます。 例えば、作中ではさらっと、自分と少女の過去が描写されるだけですが、そこにもっと筆を割くことで、物語全体の厚みを増すことが出来ます。 なぜ、主人公があれほどまで、彼女を想っていたのか? その説明を補強してあげるだけでも、作品はグッと締ってきますし、ちょっと病的なまでの主人公の思い入れの説明にもつながります。 実際のところ、10年離れていた女性と出会って、すぐにそれと分かるのかどうか。 相手が中学生の頃に離れているわけですから、女性のそこからの10年って物凄い変化がありますよね。 非常にありがちだと思いますが、最初は「あれ……なんだか誰かに似ている……」くらいにしておいて、過去のエピソードで出てきた、たとえばほくろの位置とか、あるいは主人公が彼女を守ろうと決心するきっかけになった怪我の痕とか、そういうのを出して、「目の前の女性は、あの子なんだ」というのを確定させる、という手があります。 で、女の子のほうは、最初から主人公のことに気が付いていた、とかね。 なので、過去のエピソードを厚くすることで、現在の物語も平坦ではなく、少し起伏を持たせながら肉付けしていくことが出来るというわけです。 ふりーむの説明書きには、約小一時間~一時間くらいの尺が示されていましたが、実際は30分程度。 しかし、そうした必要な部分でのエピソードの追加や、描写の追加を入れてあげれば、一時間半、あるいは二時間近くの物語に変化させられ得る、そういう可能性を感じました。 作品自体は、割と悲惨でw 救いようのないエンドを迎えるわけですが、どうしようもない不条理さみたいなものはヒリヒリと伝わってくるんですよね。 特に女性との関わりで男性に訪れる「どうしようもない現実」というやつです。 一方で、「その悲惨さをそのまま悲惨なまま作品にしちゃう」というのも、せっかくのノベルゲームという媒体にしている意味が薄れてしまうような気がします。 これもよくあることですが、一回目は悲惨なままのエンド。 二回目以降、随所に選択肢が出てきて、幸せになる道が拓かれていくとかがポピュラーな形でしょう。 ノベルゲームだからこそ、「読み物」としての存在を保持しながら、選択肢を提示して、それを回避していく道も模索出来るという。 いや、もちろん、悲惨なものは悲惨なものとしてそのまま提示するという方法もあるんです(私がそういうのが好きだっていうのも、みなさんご存知でしょう?)。 が、そこには一工夫あってもいいわけで、本作の場合ですと、作中でちょこちょこっと顔を出すあるアイテムがあります。 それはサボテン。就活が上手くいかない主人公の心情に対応するかのように元気のないそのサボテンを上手く活用してやれば、より印象に残るエンタメ作品としての締め方も出来るんじゃないかな? と愚案する次第。 私がパッと思いついたのは、サボテンをヒロインが世話し始める、みたいな回想が入るんですよね。 主人公の世話の仕方が悪かったのか、その元気のないサボテンが、ヒロインの手によって元気を取り戻していくみたいな描写をちょろっと入れておくんです。 そして、悲惨な結末を迎え、最後の最後の場面で、無人の部屋の中、夜にサボテンが花を咲かせる……。みたいなね。 理屈はともあれ、なんか「締め!」って感じはしますでしょう? こういうことを上から目線でつらつらっと書いてしまうくらい、「色んな可能性にあふれた作品だなぁ」という印象があったのです。 現段階でもいいものがある、というのが分かるものの、まだそれは種や、枠組みといった感じ。 本当に、本作をもっと肉付けして、厚みを増したものを読んでみたいという気がしますね。 イラストも愛らしいですし、今後大きく伸びていかれる作者さんではないかと思います。 そんなわけで、今回はこの辺で。 ちょっと上から目線で書いちゃったなと反省はしています。 けど、少しでも本作が気になった方は、是非プレイしてみてください。今のうちから目をつけておくといい作者さんだと思いますよ。 ※そういえば、タイトル画面に「吹き溜まり」に相当するであろうshady pleceという言葉があるんですが、shady placeではないでしょうか? 蛇足。
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by s-kuzumi
| 2020-08-15 23:18
| サウンドノベル
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2020年 05月 04日
道玄斎です、こんにちは。 連休……というか、自粛期間中ということで今日も日がな一日家に閉じこもっています。 ちょくちょく書いているような気がしますが、別に私はこのブログを閉じたわけでもなく、ノベルゲームを楽しむことも、レビューを書くこともやめたわけではないので、こうしてシレっと更新することがあるのです。 今日はふりーむの「ノベルゲーム」カテゴリから作品を見つけてきました。 そういえば、少しノベルゲームの世界から離れていると、また色々な変化があるようです。制作エンジンの主流は完全にティラノスクリプトとなり、パッケージとしてリリースされるものだけではなく、ブラウザでプレイすることが可能になっていたり(本作はブラウザでのプレイ。実はティラノはスマホのアプリとしてパッケージングも出来るはず。ただし、あんまり使用されてないと思う。なぜなら……みたいな話はまた今度)、極端に尺の短い作品がリストのかなりを占めていたり。 そんな中で、ちょっとピンとくる作品を見つけてプレイしてみたのですが、短い尺とはいえ密度を感じさせる作品でした。 文字数からは想像も出来ないほど、プレイヤーに「考えさせてくれる」作品、とでも言いましょうか。 というわけで、今回は「冬紀」さんの『ともだちは子ネコ』です。 ふりーむのページは、こちらとなります。 てっきり私、最初、「主人公である雪音さんからは、子ネコが人間の形に見える」とか、あるいは「読者(プレイヤー)の認知として、子ネコが人間として表現されている」とか、そういうものだと信じて疑いませんでした。 多分、この辺りはミスリード的なものを狙っていると思うのですが(“ネコ”って表記とかね)、見事な仕掛けだと思います。 ですので、説明文にあるような「地域ネコ」、あるいは「野良ネコ」なんてキーワードから、猫の話だと思っているとその仕掛けにびっくりします。 ところで、地域猫ってご存知でしょうか? 作中にも出てくる、「片耳をカットされた野良猫」のことなんですが、猫の耳をちょいとカットすることで、桜の花びらのように見えることから、「サクラ耳」なんて呼ばれたりもします。 野良猫が増えすぎると色んな問題が起こります。 季節によっては、夜、猫の鳴き声や叫び声が聞こえる。 街中を猫がウロウロしており、ゴミ箱を荒らしたりする。 交通事故などで、猫の死体を目にする機会が増えたりする。 野良の猫は汚いから嫌いという人もいる。 どうしてたって猫が嫌いな人もいる。 …………。 ……。 まぁ、色々な理由によって野良猫が増えるのが望ましくない、って考えがあり、「じゃあどうすんのよ?」って時に、「野良猫を去勢して繁殖出来ないようにする。しかる後に、その猫たちは地域の人たちで責任を持って世話をしてあげる」という対策が「地域猫活動」と呼ばれるものです。 その活動も、まずは猫をトラップを用いて捕獲するところから始まり……と話し出すと脱線のし過ぎなのでそこはちょいと自重しましょう。 猫と人間が共存するための方策の一つが地域猫活動である、ということは出来るんですが、そこにも色々な問題があります。 地域猫活動は、野良猫を去勢して繁殖を防ぐということに一つの目的があるわけなんですけれども、野良猫を見つけると、とにもかくにも餌をあげてしまって、結果猫を増やしてしまう人というのもいたりします。 また、去勢された猫のエサ場を作ってやり、そこでご飯をあげて面倒をみる、という行為にも「お金」がかかるわけです。また、エサ場には猫が集まるわけですから、猫が嫌いだという人の賛同も得られにくい。いや、そもそも去勢だってお金が掛かります(最近、補助金が出る自治体も多いですけど)。 もっと根本的なことを言ってしまうと、「人間と猫が共存するため」と言いましたが、あまりに人間主体の「共存」の在り方なんじゃないかな? という問題だって実は孕んでいます。 だって、天然記念物である動物なんかは、例えば「人間が彼らに近づかない」など、人間が譲歩する形で繁殖を促し、保護をしているわけですよね。 けれども、猫の場合は人間が積極的に彼らの繁殖能力を奪った上で、保護をするということになっています(絶対にないけれども、地域猫活動が大成功をして野良猫がいなくなったら、猫そのものが世界からいなくなるわけですよね。ペットショップなどで売られる血統書付きの猫以外は)。 天然記念物は希少だというのは分かるんですけれども、「命は尊い」とか「命は平等」とか言いつつも、そうして命に優劣をつける行為はどうなのか……ちょっと青臭いかもしれないけれども、私はなんだかすごく考えこんでしまうのです。猫と人間は生活領域が重なるとか、そういう事情の違いが天然記念物たちと違って存在するのは分かっているけれども、ね。 で、本作の私がグッとくるポイントがまさに、そういうことを考えさせてくれる作品だった、というわけです(あー、やっと本題に戻った!)。 ネコ(≠猫)の世界をパン屋のお姉さんとの交流を通じて描くことで、実は「その世界の問題点」を描いているわけです。 しかも、最初っから「そういう世界なんだ」と気づかせずに、「ネコ=猫」だというミスリードをしていくあたり、巧みな物語の作り方と言えましょう。 物語の中で、「じゃあ、どうするの?」といった問題に対する答えは出ません。 けれども、その何か燻るような想いを包み込んだまま、どこか優しい余韻を残して物語は幕を下ろします。 何か結論が出るわけではなく、「雰囲気」や「気配」を残して作品が終わる。 そういうパターンってノベルゲームでも結構あると思うのですが、本当に「雰囲気」が活きた作品は案外少ない気がします。 今までの経験上、最初っから「雰囲気ゲーにしてやろう!」みたいなパターンだと失敗することが多いようなw しっかりとした物語の世界を積み上げた先、「それ以上はもう語れず、雰囲気で感じ取ってもらうしかない」という状態になると、よい結果になることが多いんじゃないかと思います。 尺としては10~15分程度のかなりの短編ではありますが、少しづつ世界を明らかにしていく巧みな作り、ラストの余韻や、読後も続く「色々思いを致してしまう」ような深みを持った作品です。 ネコが好きな方は、是非ご一読あれ。 それでは、また。
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by s-kuzumi
| 2020-05-04 18:02
| サウンドノベル
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