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久住女中本舗

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2009年 10月 21日

なんてことない日々之雑記vol.241

道玄斎です、こんばんは。
案の定風邪を引いてしまったようです。熱とかはさほどではないのですが、くしゃみとかが凄い。
そんなわけで、今日もゲームは自重して、どーでもいー私の日々之記録を……。


■なんとなくアンティーク

私を直接知る人は、その悪筆ぶりをご存じの事と思いますが、兎に角私は字が汚い。
書き順は滅茶苦茶(らしい)し、自分でサッとメモしたものを後になって見返しても、判読出来ないという体たらく。そんな私ですが、時折、筆と墨で字を書く事もあります。今日はそんなちょっぴりレトロな話から。

大凡、普通にペンで文字を書くのが巧い人は、お習字の類も上手だと思われます。逆にお習字が上手な人も又、ペン字も上手にこなしたりするものです。
で、私は勿論どっちもニガテ。何しろ、中学三年生くらいまでまともに字を書いた事が無かったわけですから(漢字を殆ど書けなかった)、それもむべなるかな。

極々稀に、私がサッと書いた流し書きみたいなものを見て、「達筆ですねぇ!」なんて云ってくれる人が居たりしないでもないのですけれども、それは何となく「それっぽい雰囲気」に誤魔化されているだけですw 平仮・漢字・カタカナ・英字、およそ文字という文字、殆どが酷い筆跡になります。
或る意味、「サインの偽造」が非常に困難な字体なのかもしれませんが、実は筆で字を書くと、とっても有名な書家の人の字と類似しているようです。その書家の名前は鄭道昭。今から1500年くらい前に生きていた中国の人。どこが似てるって、「まっすぐな線が引けない」というw 
デフォルトでヘロヘロっとした字なんですよね。で、私も金釘流というよりは、ヘロヘロ流ですからパッと見、雰囲気が似てるんです。

もう、こうなってくると「一般的に綺麗に見える字」を追求するのを止めて、自分の持ち味を活かした書の道に進んだ方がいいくらいですねぇ……。

そういえば、書と云えば、現代でも書家の方というのがいらっしゃって、芸術を極めんとしたり、教室を開いていたりするわけですが、例えばあと200年とか300年経って、そういう人たちの書が後生に残っているのか? って云われたらどうもそうじゃないらしい。や、勿論そうじゃない、「現代の達人」みたいな人もいるだろうけれども一般的に、って事で。

やっぱり、書というのは、漢字のそれもそうですけれども、特に仮名文字が入る場合、「仮名文字が出来た辺りの時代」に生きていた人が圧倒的に影響力があるわけです。ご存じの通り、最初に漢字が我が国に入ってきて、漢字が崩れて平仮名になっていくんですが、当然、「仮名文字を学ぼう!」と思う人はその仮名文字を確立させた「始祖」に近い人たちの字を学びますよねぇ(勿論、現存する限りですが)。
ですので、平安時代に活躍した俗に云う「三筆」辺りが、仮名文字の最高峰という事になり、彼らの文字はきっと300年後もお手本として残っているのでしょう。

だから、本当は私がいくら綺麗な書を認めたって、或る意味で空しい作業なのかもしれませんw
それは文学研究をしている人が、いくら素晴らしい論文を書き、圧倒的に鮮やかに作品を解釈したり、誰も見つける事の出来なかった作品を掘り起こしてきたりしても、決してノーベル文学賞を受賞出来ない(というか受賞資格がない)というのにも似た諦念ですw ってなんのこっちゃ。


ただね、こういう実利的な事を考えるのはやっぱり良くないんですよね。
好きだからやる、楽しいからやる。
これに勝るものってのは中々無かったりもします。後生に名前が残らなくても、自分なりの味のある字を書けたら……きっとそれは又一つ、人生が豊かになったって事なんでしょう。

あと2ヶ月くらいしたら、書くであろう年賀状くらいは筆で書いてみようかな、なんて事は考えているんですが、結局ギリギリになっちゃって、例によって万年筆で書く事になるのかも……。



■そして本当のアンティーク

で、習字はレトロなだけで別にアンティークではなかった、と今更ながらに気がついたのですが、次は本当にアンティークなお話。

というのは、今日、本を買いまして。その本のタイトルは『ピアノはなぜ黒いのか』(斉藤信哉・幻冬舎新書)というもの。
ピアノについての蘊蓄が詰まった本で、現在大量生産されているピアノの話や、中国産のどうしようもねぇピアノの話、ヨーロッパのピアノメーカーの創る「思想のある音」について……。色々な事が語られていて、多分、この本を読んだ人の多くは、ヤマハとかカワイじゃなくてヨーロッパのピアノに凄く魅力を感じると思うのです。

ですが、私が「これは欲しい!」と思ったピアノは、ヨーロッパのピアノではなくて、寧ろ國産のそれだったのでした。國産って云っても、現在あるいは10年とか20年くらい前とかのピアノではなくて、明治時代とか大正時代、或いは昭和の初期に創られたピアノです。

ヨーロッパのピアノメーカーを推すのと同じくらい、この本の著者は「國産アンティークピアノ」も推していて、流通には乗らなさそうですけれども、個人で所蔵しているそうした古いピアノの良さについても述べています。

メイドインジャパンがそこまで魅力的で無くなった今日、そうした古式ゆかしいクラフトマンシップを感じさせるピアノが我が国にもあった、というのはとても素敵じゃないか。何だか楽器としてよりも、本当にアンティークとしての価値の方がありそうな気がしないでもないのだけれども、一度触ってみたいですねぇ。
何でもかんでも「古けりゃいい」って訳じゃないけれど、やっぱり懐古趣味な私としては、そうした時代を感じさせるものに憧れを持ってしまいます。
しかも、西洋で生まれたものであるのに、メイドインジャパン、つまり國産であるって所がミソなんですよねぇ……。歴史の教科書とかで昔あったじゃない? 鹿鳴館のイラスト。ああいう雰囲気ですよね。日本人がちょっと西洋人の真似して、背伸びして、だけれども正に職人技を駆使して創った「偽洋風スタイル」。それはそれで一つの美として確立されている気はするんだけれども、國産アンティークピアノもそれと同一線上にあるような、とてもゆかしいものなのでした。

興味のある方は是非ご一読あれ。
中々面白い本だと思います。



そんなこんなで、今日も今日とて早めに眠ります。
それでは、また。

by s-kuzumi | 2009-10-21 00:06 | 日々之雑記 | Comments(0)
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