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久住女中本舗

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2009年 11月 06日

なんてことない日々之雑記vol.245

道玄斎です、こんばんは。
ノベルゲームは何本もプレイしているのですが、何となくピンとくる作品がなくて、今日も今日とて日々之雑記。



■家が萌える

お寺がメイド喫茶を出店するようですw

それは兎も角気になるのは、新聞などでメイドさん、つまりmaidをカタカナで表記する際、非常に屡々「メード」という表記にぶち当たります。メイド喫茶ではなく「メード喫茶」とかね。
一方、made in Japanなんて時には「メイドインジャパン」と表記するから不思議。

maidの方が、明らかに「i」の音が入っているわけだから、メ「イ」ドになる必然性が強いのですが、メード喫茶に、メイドインジャパンという表記が一般的なようです。

maidと語源を同じくする「海女」(“あま”に非ず。“うみおんな”です。厭な漢字表記ですが……)たる「マーメイド」はちゃんと「メイド」にしていますし(今、検索してみたら「マーメード」という表記もあるみたい。だけれども「マーメイド」の方が一般的かな?)、拷問道具だったり、バンドの名前だったりする「アイアンメイデン」も「メーデン」ではなく「メイデン」になっています。

これ、凄い不思議じゃありません?
日本語の音韻体系の中に於いて、「maid」の「i」の音を独立して発音させず、長音記号の「ー」として発音(認識)する、という規則があれば、話は別ですが、混在している状況を鑑みるに、どうもメイドさんを「メード」と表記するのは、何か意図的なものがあるような気がします。

今、軽く調べてみたら、「新聞用語」なるものがあって、その手引き書まで売られているようです。
これを使えば、外来語や地名なども記載されているようで、分かりやすく且つ正確な文章が書けるようですよ? 恐らく、こうした新聞社の取り決めとしてメイドさんを「メード」と表記する、というルールがあるのでしょう。

ただ、(素朴な言語感覚として、ですが)一般的に使用される「メイド」よりも「メード」を採択する事に関して、合理的な説明がつくのかどうかは甚だ疑問です。
「メイド」じゃなくて「メード」が正しい、なんて云われたら、何か無性に反発したくなりますね。
そもそも新聞が正確な文章か、ってのにも非常に疑問があるわけですがw 私の文章もそりゃぁ酷いものですけれども、時として新聞だって論理破綻している事も屡々あります。
恐ろしい事に、新聞に書いてあるから正しい、なんて認識を持っている人がいたりするわけで、ちょっとそれはね……。新聞ってのは「真実を伝える」という事を標榜していたりするわけですけれども、実態は株式会社ですから、「利益を上げ株主に対する責任を果たす」事こそ第一目標なんですよね。


っと、脱線しちゃった。
ここで、大幅に軌道修正して、お寺のメイド喫茶です。
お寺がメイド喫茶をやるってのは、仏教的にどうなのかなぁ? と考えないでもないですよねw 私は別に仏教徒ってわけじゃないんですが、何故か身の回りに、お坊さんとか尼さんとか、お寺の子息が多いので、少しは仏教に親しみがあったりします。
っていうか、日本人ってのは、その多くがお寺に行けば手を合わせ、神社に行けば柏手を打ち、クリスマスにはおにゃのことあんなことやこんな事をしたりするんですけれどもw

それに仏教って一口に云っても、色々ジャンル(?)があるわけですが、一般的に云う所の仏教って、実は「神様」的な存在がいるわけじゃないんですよね、多分。寧ろ「仏になろうZE!」ってのが仏教です。
この仏ってのがクセモノで、所謂「God」に相当すると考えると多分誤りで、仏って「悟りを得た人」って事ですから、「俺たちも悟ろうぜ!」ってのが仏教という事になります。

お釈迦様の存在は、「悟りを得た偉大なる先達」として尊敬されている、という感じでしょうかね。
宗教っていうと、一人でも複数でも超越的な「神様」が居てってイメージですが、仏教の場合、ちょいと事情が違うわけです。
日常的に使うボキャブラリーの中に、仏教的な言葉は随分とあるわけですが、仏教的なものに直接的にお世話になる時って、死んだときが多いですからねぇw 外国人に「仏教について教えて下さい」なんて云われたら、私を含めて、それなりの解答を出せる人、あまり居ませんよね。

で、お寺のメイド喫茶ってのは、どうなのかなぁ? なんて疑問は払拭出来ないわけですが、嘘も方便っていうか、メイドで釣って、仏教の教えへ導くみたいな、そんな感覚なのかもしれません。


そういえば、最近お坊さんから聞いたんですけれども、キリスト教徒の間で座禅が窃かなブームになっているようです。寧ろ外国人の方が多いそうな(神父さんとか牧師さんとかも!)。特定の宗派に関わりなく座禅が出来る場所があるようで、そんな所に行くと、異端とかじゃない普通のキリスト教徒の方が一杯だそうな。
中には、自分の教会の裏手に座禅のスペースまで作っちゃった人まで出てきて、バチカンから「そういう事はおおっぴらにやらないように」なんてお達しがあったとか無かったとか。ホントかなぁ?
修道士が瞑想をする、なんて事もありますから、そういう部分で、メディテーションの技術として、座禅を取り入れているって事なんだと思いますけれども、なんか不思議な感じがしますね。

そのうち、私もそこで座禅をしてこようと思いますので、その時、実態をレポートしますw



いつにもましてグダグダですけれども、今日はこのへんで。
それでは、また。

by s-kuzumi | 2009-11-06 00:01 | 日々之雑記 | Comments(0)
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