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久住女中本舗

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2007年 07月 03日

涼宮ハルヒと一般図書。或いは夏の100冊

こんにちは。

俺は久住ではありません。名はまだない。仮に「裏」とでも読んで下さい。
彼女のお手伝いをしています。

今回、何かブログで記事を書いて欲しい、という事だったので書いてみる事にしました。


今日のお題は「夏の100冊」です。
夏の100冊。このくらいの時期になると、本屋の文庫本コーナーに山積みにされている、各出版社が、小中学生の夏休みの宿題の為(?)に名作シリーズをリリースするアレです。

本屋に行くと、俺や久住は大抵、全てのコーナーを一通り回って、めぼしいものをチェックします。勿論、文庫本コーナーも。
さて、ライトノベルが好きな俺は、当然そういうコーナーもチェックです。
いつものように、「涼宮ハルヒ」が山積みにされていて……。

しょっちゅう、本屋に行くと本の帯が変更されているのにも気が付きます。
今回は「ハルヒ」の帯が変更されていました。

帯をみて吃驚です。


角川の夏の100冊に「ハルヒ」が入っているじゃないか!

http://www.kadokawa.co.jp/dis/bookcover/bunko.php


俺が若かった頃は、もう少し硬派な本が多かった気がするのだけれども、随分ライトな(ライトノベルって意味じゃないよ)本が、この夏の100冊に入るようになったもんだ。
ライトノベルも何冊か入ってますね。これも世の流れか。

けど、夏の100冊に「ハルヒ」が入ったってのは、一大革命な気がする。
他の顔ぶれを見てみると、『竹取物語』、『源氏物語』、『徒然草』、『おくのほそ道』など正統派クラシックなんかも見える。

『竹取』、『源氏』、『徒然』、『ほそ道』。そして『涼宮ハルヒ』

これは革命だよ。レボリューションだよ。日本文学史の一大事件だよ。
こういうライトノベルが夏の100選とかの所謂「名作」シリーズに入る事を、快く思わない人が居る、ってのは承知している。
だけれども、俺はこういう動きを肯定的に捉えたい。

聞きかじりの知識でものを言うけれども、文学史ってのは大体「正統派」と「ライト派」(そんな言い方するのか?しないよね……)に古代から別れてるもんだ。

漢文の正統派の文書に対して、仮名文字の文学。
純文学に対して、大衆小説。

そして、「ライト派」読者ってのは往々にしてちょっとした後ろめたさを持ちながら、ライトな文学を楽しんできたような気がする。
小学生の夏の感想文を『ロードス島戦記』で書いたのは、俺だけだった!
挙げ句、「読書の時間」なるものが小学校の時に設けられ、休み時間に読書をしよう!という動きがあった。みんな「子供らしい」いかにもなものを読んでいた。

なんていったっけ?
あの三人組でさ、快活で運動神経の良い少年と、ひ弱だが頭の良い奴、そしてマスコット的な心優しく太った少年の物語。
ああいうのとかさ、女の子になると、「わかったさん」とかあのシュークリームを作ったりする本を読んだり、ちょっと硬派な奴になると『坊っちゃん』とか読んだりしてたもんだ。

その中で、ライトノベル派は俺だけであり、俺は『ロードス島戦記』だった。
父親が、洋酒の空き瓶の中に溜め込んでいた100円玉を、五枚乃至六枚失敬して、ロードス島を買っていたんだ。

実際、例の三人組にせよ、「わかったさん」にせよ、イラストが付いていた。
『坊っちゃん』だって、小学生は別に岩波文庫で読んだりはしない。講談社とかが出してる子供向けのイラスト入りの奴で読んでいたんだ。

だが、俺のロードス島戦記は、「本ではない」という理由で没収された!

こんな悲劇があっていいものだろうか。
けど、こうやって夏100冊に「ハルヒ」が入った事で、俺のようなマインドを持った小学生や中学生が「本の没収」という憂き目を見ることなく、大手を振ってライト派の文学を楽しめるようになったのは、素晴らしい事じゃないか。

そもそもさ、『竹取物語』だって『源氏物語』だって、当時のラノベじゃないのか?
宇宙からやってきた美少女が、男を袖にして月に帰る。
血筋も容姿もいい男が、母との死別、臣籍降下によって天皇になれない、父親の妻との密通、最愛の人との死別、そして彼の子孫(薫は源氏の血は入ってないけど)の恋愛と苦悩……。
今で言えばコバルト文庫じゃねぇか。

まぁ、1000年の長きに渉って残ってきたってのは、やはり名作である証なわけで、そんでもってそういう時の試練に耐えうる作品だったって事なんだけどもさ。

兎に角だ、角川の夏の100冊に「ハルヒ」が入った今年を、俺はライトノベル元年と呼びたい。
ライトノベルがやっと「普通」の文学として「正統派」と差別される事なく、享受される土壌が整ったのだ。

しかし、ここからがライトノベルの試練の時である。
今度は一筋縄ではいかない。時の試練に耐える必要がある。
ともすれば、流行を貪欲に取り入れてしまった為に(けど、これって非常に日本文学的だと思うんだけど)、どれがどれだか区別が付かないような、作品も多いのだが、そうしたライトノベルの中から、どれだけの作品が後世まで残るか、俺は非常に楽しみである。

by s-kuzumi | 2007-07-03 07:24 | 読書 ライトなノベル


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