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久住女中本舗

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2007年 07月 16日

『茶の本』 岡倉覚三著 岩波文庫

こんばんは、久住です。

やっと、本を一冊読むことができました。
またしても岩波文庫青シリーズです。

今回は、岡倉天心こと岡倉覚三氏の『茶の本』です。

この本は、日本人である岡倉天心が著者であるのにもかかわらず、「日本語訳」された形で出版されているあるいみで特殊な本です。
氏はアメリカかどこかでこの本を出版し、東洋の、そして日本の茶の文化を伝えようとしたのでした。しかし、外国人だけでなく日本人にとっても有益な書物であるために岩波書店から「翻訳」されたうえで出版されることになったのです。
私の記憶がたしかならば講談社の学術文庫でも同じ本が出ていたはずです。そちらは原文もついていたと記憶しています。

さて、内容ですが茶道の本、というイメージがタイトルからは伝わってきますが、そうではありません。茶の思想史とでもいいましょうか、そうした趣を持つ本なのです。

お茶の種類やその歴史、或いは古代中国のお茶に関する思想や、哲学や美術などが分かりやすく説明されており、非常に良書であるとおもいます。ある程度の予備知識はあったほうが良いのですが、恐らくそうした予備知識がなくとも楽しめる一冊です。

私が特に面白いとおもったのは、お茶の種類です。
最も初期のお茶は団茶といって、米や香料、牛乳などとともにお茶を団子状にし、それを煮るものであったというのは衝撃的でした。
この団茶のルーツはチベットやモンゴルみたいです。確かに牛乳などと一緒に団子にする、などという手順は、なんとなくチベットやモンゴルな気がしますよね。

一番、感銘をうけた所は、


実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。 (P74)


という部分です。
これはそのまま現代にもあてはまりますよね。
この文章は、利休が世間の評判や一般的評価ではなく、自分の審美眼に従ってものを収集した、というエピソードについての解説です。

私は粗野な人間ですから、芸術についての造詣もありません。
しかし、よいと思えるものはよいと感じることは出来ますし、気に入らないものについては気に入らないと言うことが出来ます。自賛のようでいやなのですが、どうやらそういう「自分」を基準とした芸術への評価が大事で、間違っていないこと、自信が少しもてました。

世間一般で名画といわれているものであっても、自分が気に入らなければそれはそれでよいのです。そうした自分の感性に従ったものの見方が大事だと氏は述べています。
無理をして、迎合する必要はないのですね。

このように、『茶の本』でありながら芸術一般論であり、日本史でありと内容的にもまとまりを保ちながらバラエティに富んだ構成をもつ本となっています。
茶道を嗜む人は勿論、広く一般の方々にも読んでもらいたい本です。

どの道も大変厳しいものですが、私の知り合いの茶道の先生(もう亡くなられてしまったのですが、亡くなられる前に国から正六位を授与されておりました)は、「お茶は十年続けて、初めてお茶を学んだということが出来る」と仰っておりました。
しかし、十年では実はやっと茶道の世界の入り口に入ったといったところでもあるそうです。

昨今では、結婚する前に一年か二年程度お茶を習い、結婚を機にすっぱりと茶道をやめてしまい、それで「お茶を嗜みました」と言ってしまう人も多いようですが、実に嘆かわしいことだと思います。是非、そうした方にもこの本を読んでもらいたいですね。
茶道を続ける原動力になるかもしれませんし、それで茶道をとおして何か大切なものが得られたらとても素晴らしいことだとおもいます。

by s-kuzumi | 2007-07-16 01:10 | 読書 一般図書


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