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久住女中本舗

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2008年 04月 14日

ノベルゲーム/サウンドノベルと日本文化論 講義vol.1

道玄斎です、こんばんは。

例によって例の如く、又しても突発的に変なことがやりたくなって(結構日常生活でストレス溜まってるのよ)、まぁ、二月くらいに宣言した通り、何か新しい活動をしてみよう、と。

「講義」だなんて、偉そうに名前を付けていますが、別に私が皆さんよりも上の立場からモノを言う、というのではなくて、普段からちょこちょこ書き散らしている事を纏めてみよう、或いはノベルゲーム/サウンドノベルを考えて貰う一つの切り口になったら、面白いかな、と思ったりしてのことです。

退屈極まりないかもしれませんが(そしてこういう試みは結構どこでもやられていそうな気がする)、暫しお付き合い下さいませ。

丁度、自分が大好きなサウンドノベルなお話と、日本の文化(と言っても多分、古典文学寄りになる……)をフェルミ推定よろしく(って全然違うか)、半ば強引に纏めてみようというそういう企画です。

タイトルに「vol.1」とあるように、最初っから一回で終わるとは思っていません。
通常の講義がそうであるように、導入から始まって、何かしらの結論(若しくは私が飽きるまで?w)が出るまで三回程度を予定しています。

というわけで、第一回講義を始めましょう。



■オタクってなにさ?~導入~

いきなり、あんまりなタイトルが付いていますが、当の本人は大まじめです。
ノベルゲームをプレイする人がオタクだとは言わないし、創る人もまた然り。だけれども、私をはじめとする熱狂的なノベルゲームプレイヤー(私がはじめ、っていうのが厭なら、末席にでも加えてやって下さい……)は、少なからず「オタク」的なのではないかと。

さて、注意点です。
今回、いや今回に限らずこの一連の講義ではここから「オタク」という語を、とても肯定的に使っていきます。世間一般(というか一部マスコミ)が必死に刷り込もうとしている「フィギュア大好きオタク族」みたいなものではない。
予め、結論めいた事を言えば、私が考えるにオタクとは、日本文化の由緒正しい継承者(別に北斗神拳に準えて「伝承者」でもいーけどさ)であり、現代日本の文化の最先端を行っている人たちである、というあたりでしょうか。
些か、オタクを擁護しすぎているような気がしないでもないのですが、「良いオタク」と「悪いオタク」という話も今後取り上げるつもりなので、またその機会にでも。

で、なんで急にこんな講義だなんて銘打って馬鹿みたいな事をやりだしたのかっていうと、案の定、ある本がきっかけになっています。
『オタク学入門』(岡田斗司夫著)なる本を読んだわけです。
別段なんてことない本なんですが、普段から私の考えている事、或いはちょこちょこと書き散らかしているものに、似ている部分、共有出来る部分が非常に多かったんですね。
一応、言っておきますけれど、この本は無く子も黙る東京大学のゼミで使われるテキストでもあるのです。

だから、本当は「オタクと日本文化」みたいな話にしてしまえば、一番纏まりがいいし、私が読んだ本もそのまま活かせる。
だけれども、それじゃただの丸写しだし、何より私が面白くない。というわけで、半ば強引にサウンドノベルとオタク、そして日本文化を絡めて話してみよう、と思い立ったのが今朝の四時半。
私、不眠症気味でしてねぇ、なかなか眠れないんですよ……。

さて、例の『オタク学入門』に良い事が書いてありました。
曰く、

「オタクとは高性能のレファレンス能力を持つ人間だ」
「ジャンルのクロスオーバーがオタクの本領」


と、まぁこういうわけです。
すぐに「アレは~のアレに似てるぞ……」と気付いてしまう、その眼力。それがオタクの武器なのです。うんとくだらないけれども、うんと分かりやすい例で言うと、東京タワーとエッフェル塔を見て、「どうやら東京タワーの元ネタはエッフェル塔だな……」と気付く、という。
実際問題として「アレは~に似てな」くても構わない。
けれども、その人の目から見ればそれは、きっと「アレは~に似て」るんでしょう。きっと個々人それぞれの観点から見て「共通項」を見いだしているに違いない。
当然、誤解なんかもあると思う。東京タワーの例で言えば「さてはエッフェル塔は東京タワーを真似たな……」とかね。

ここまで読めば、気付くと思いますが、これって結構学術的ですよね。
物事を分類して、類似と差異を見つけていく。へたをすれば作者なるもの(この作者の問題も後に扱う予定です)の意図すら喝破しようとする。

多分、オタクって言葉がまだまだ悪い意味で使われているんだけども、これもやっぱり、うんとモデル化して言うと、言うなればオタクとは「知恵袋の詰まったおばあちゃん」的なもんなんじゃないかな、と思うのです。
まぁ、知恵袋ってーと、「蚊に喰われたら朝顔の葉っぱを揉み込むとかゆみが収まる」とか、「障子の張り替えの時に大根の汁を付けると、良くくっついてしかも剥がしやすい」とかそんなイメージかもしれない。
けれども、そういうのじゃなくて、昔の事を良く覚えていて、現代でも昔体得したものを応用出来る、くらいの意味で知恵袋なる語を使っています。

先に挙げた『オタク学入門』からの引用二番目、ジャンルのクロスオーバー、という辺りを思い出してみて下さい。
多分、単一のものだけに詳しい人は「その道の達人」ではあるけれども「オタク」ではない。
「オタク」っていうのは、もうちょっと知識の幅が広い。「アレも知っててコレも知ってる。だからアレとコレが似てる事に気付く事が出来る」。これがオタクだと思われます。

要するにですな、テレビが盛んに煽っている「メイド喫茶大好き族」みたいなのは、オタクっていうよりも「メイド喫茶の達人」なのです。いや、勿論その中には喫茶店以外のジャンルの達人も居るわけで、当然ここで使う「オタク」な人も居ると推察されますよ。
所がこれに「純喫茶の達人」という属性が加わると「メイド喫茶と純喫茶をクロスして考えられるようになる」。これはもう「オタク」です。「喫茶店オタク」って言っても良いかも知れない。
私なんて、バレンタインの日にメイド喫茶に一人で入ってチョコレート系のメニューを頼めちゃうくらいの猛者になってますけれども、自分は恐らく「世間一般で言う所のオタク」ではないだろうし、ここで使うような良い意味での「オタク」としてもまだまだひよっこで末席にも加えて貰えないんじゃないでしょーか。
私が良い意味であれ、悪い意味であれオタクではない、という最高の証左は「コミケ参加が一回だけ」という実績にあります。
しかも、コミケに行ってみても、結局同人ゲーム、しかもサウンドノベル/ノベルゲームのコーナーをウロウロして、1000円札を出してみたり、或いは500円玉を出してみたり、はたまた「本当に10円でいいですか?」と聞いてみたり。

マンガなんて大好きだし、ライトなノベルもとても好き。
だけれども、最近はロシア文学も読むし、日本の古典文学だってちゃんと読んでます。で、私の場合「古典と現代日本のオタク文化」が似てるという事に気がついた、オタクとしての「初めての気づき」を体験したばかりです。こっからキングオブオタクになるのか、はたまたこのままどっちつかずのぬるま湯に浸かっているのか、はたまた「もっと高尚なものを読みたまへよ」とか説教する厭なヤツになるのかw それはまだまだ分からないけれども、少なくとも私は「古典文学」と「現代日本のオタクカルチャー」をクロスオーバーさせて捉えている、というわけです。

ここで、少し話しが戻ります。
オタクって言葉に悪いイメージがある、という辺りまで戻りましょう。
ここまで来れば、もう「アニメが好きな奴がオタク」とかそういう事は思いますまい。
寧ろ、「学者ってオタクなんじゃねーの?」と気付くのではないでしょうか。
先ほど、オタクの目は学術的だと言いましたが、まさにその通りで、結局学者って「オタク」なんだよね。慣習的に(というかメディアの刷り込み?)によって「アニメ」「マンガ」とかそういうのに詳しいヤツが「オタク」と呼ばれているけれども、「オタク」という概念自体が他分野へとクロスオーバー出来るものなのでした(なんかクロスオーバーって言葉を使いたいが為にちょっとオカシな言葉になってる??)。


さて、第一回目の講義はこのあたりで終了です。
取り敢えず、導入として「オタクとはなんぞや?」という問題を扱ってみました。
次回は、ノベルゲーム(別にサウンドノベルでもいいよね?)も議論の俎上に載せてあれこれと料理してみたいと思います。例の『ぼたんゆき』テイストとか、その辺りのお話になるんじゃないかな?勿論、次回から古典文学についてもあれこれ絡めながら話していけたら、と。

実は、講義ノートまで創ってるくらいなので(って本当につまらない所で労力を使うなぁ、自分……)、次回はどんな話になるのか、既に計画済みです。
取り敢えず、第二回目の講義は、今回のおさらいから入って、ノベルゲームの方に進みたいと思います。

それでは、皆様おやすみなさい。

by s-kuzumi | 2008-04-14 23:08 | 日々之雑記 | Comments(0)
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