2008年 04月 27日
道玄斎です、こんにちは。 延び延びになってしまった「ノベルゲーム/サウンドノベルと日本文化論」の続きをお届け致します。 今日は少し前回三回分までよりも、ちょっぴり真面目な体裁を採る予定ですよ。 ■おさらい うんと簡単に纏めてしまうと、古典文学の発生の過程とサウンドノベル/ノベルゲームの発生の過程に似たものがある、とまぁそんな事を回り道をしぃしぃお勉強してきました。 もう少し補足しておくと、今「正統派」の芸術として認知されているようなものではなく(んー、例えば芥川賞受賞作とかね。私からすればそれもライトなものになってる気はするんだけども)、ライトノベルとかそういうものも、私からすれば非常に古典文学的です。 今年が源氏物語が記録上に出てきてから丁度1000年経つわけですが、こういう物語文学作品の伝統は今なお、形を変えつつも存続している、というわけです。 ■ライトな文化と「引用」 前回かな?確か『はこやの刀自』なる作品が、中国由来の物語を利用して日本独自の物語を更にそこにミックスして出来た、というようなお話をしました。 何もない所からは何も発生しない、というわけで、必ず何か作品が出来る際には「元ネタ」(っていうと言い過ぎな気もするけれども)が存在しています。 それは、その作品を製作なさっている方が意識している場合もありますし、逆に意識せずに使ってしまう、なんて場合も勿論想定出来ます。 こういう影響力をここでは「引用」と言い換える事にしましょうか。 引用っていうと、「二字下げ、出典・発表年明記」なんて事を考えてしまう方もいらっしゃるかと思いますが、そこまで厳密な定義じゃなくて「Aという作品に有形無形の影響を受けたBという作品が存在する場合、BはAを引用した」と、まぁこのくらいのゆるーい定義でお願いします。 更に引用といっても、敢えて引用する「確信犯的な引用」(パロディである事が多い)だったり、気付く人だけ気付くような、「一部の人へのメッセージを込めた引用」だったり、はたまた「作者自体が自分が引用しているという事に気がついていない、無意識の引用」など、様々な形があるかと思います。そこらへんの区分けがちょっとめんどくさい所ですが、引用と一口に言っても色んなタイプがありそうだ、くらいに思っていただければ。 で、なんでここで引用を問題にするかというと、今のライトな文化が常に引用という問題と不可分だからなのです。 滅茶苦茶分かりやすい例を挙げましょう。 コミックマーケット、通称コミケ。この年に二回のお祭りは、企業ブースやらオリジナル作品の発表の場になったりしているわけですが、なんと言っても「二次創作」が花形でしょう。 二次創作の同人誌だったり、二次創作のゲームだったり、或いは二次創作の小説だったりと、二次創作が主役(的)になっているのです。 そういえば、昨日「あやかしよりまし」の二次創作のゲームについてお知らせをしましたね。 ま、それはさておき、二次創作というのは、「元ネタの引用」である、というのは今までのお話から分かっていただけるのではないかと思うわけです。 元となる作品があり、そのキャラや設定などを使い、自分好みの物語を作っていく。或いはそうした引用の中で確立していくキャラの属性なんかがあったり。 最終的に、そこから「オリジナル」の作品が生まれたとしても、やはりそれは元の作品への引用という属性を保持しているのではないかと、私は思うのでした。 ここで一点注意を。 別に、引用から生まれた「オリジナル」は価値が低いとか、そういう事を言いたいんじゃないですよね?寧ろ、そういう「オリジナル」作品が生まれてくる状況とかそういうものに焦点があるので、その点誤解なきよう。 寧ろ、私自身は「引用の織物」的な作品が大好きです。 そういえば、最近は「ある作品の音楽だけだったり、或いは印象的なフレーズを『引用』し、全く別の作品の引用物に組み合わせて、オリジナリティのあるものを作る」なんて事も行われていますよね。ニコニコ動画とかさ。 先にも述べましたが、「引用」にもレベルがあって、印象的なフレーズだけ引用するものから、かなりの部分を元ネタに依拠するものまで様々です。 こういう引用は、何も作品の中だけで行われ、消費されていくものではありません。 例えば機動戦士ガンダム。「親父にもぶたれたことないのに!」というアムロのセリフがありますよね(親父にも殴られた~とどっちが正しいんだろう?)。 結構、このセリフ日常で使う人、居ませんか?w お互い共通認識がある場合、そういった符丁的に「引用」を使う事も可能なのです。 このような引用のあり方は、端から見てると「あぁ、オタクっぽいなぁ」なんて思いますが、とても伝統的なものだったりします。 そう、和歌です。 古典文学は散文であっても、おびただしい和歌が使用され、その和歌も前時代或いは当代的なものからの引用で構成されていたりします。 良くあるのが、男性貴族が女性に言い寄った際、女性は男を袖にする和歌のワンフレーズだけをぼそっとつぶやいて男に自分の意を知らせる。 そんなシーンは結構しょっちゅうお目に掛かります。或いは地の文でも、状況を説明する為に著名な和歌のワンフレーズを持ち込んで、瞬間的に状況を読者に説明する、なんて事は始終行われています。 そうね、即席で古典っぽいものを書いてみましょうか? をとこ、われてもすゑにとぞ思へば、かへりみがちなれどつひに出でぬ いや、本当適当に書いた文章だからアレなんだけども、本を読んでいて章が変わって、いきなりこういう文章が出てきたとします。 そうすると、「われてもすゑに」という文言から古典文学の読者は崇徳院の歌「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」を即座に想定するハズです。 ということは、「男と女が離ればなれになってしまったんだな」と状況が一瞬で理解出来る。引用が情報伝達のツールになっている、という感じでしょうか。 そもそも和歌っていうのは「本歌取り」という「引用」の技法があるくらいなので、とても引用というものと相性が良い。 尤も、現代では和歌なんて詠んでいる人は少ないですから、その代わりに印象的な台詞や文言、フレーズがこうした引用の対象になっているわけです。 例えば、これを読んでいる人が高校生か何かで、古典の宿題を珍しくちゃんとやってきたら先生に「お前、~の宿題を写しただろう!」なんて嫌疑を掛けられたとしますw そういうい時にぼそっと「まだふみもみず」とつぶやけば、きっと先生は納得してくれますよw ■引用の限界点と想像力 さて、ここまで引用という問題を扱ってきました。 ここで、引用という問題をもう少し突っ込んで考えてみましょう。 実は、古典文学に限らず1980年代くらいから文学研究に「テクスト論」という考え方が持ち込まれ、主流となります。 リンクは、とても分かりやすい形でテクスト論を纏めているページを張ってあります。著名な古典文学の研究者が語っておりますよ。 うんと乱暴に纏めてしまうと、「作品はテクストと呼ぶ。テクストとは織物であって、全てのテクストは作者の意図を排除して、引用の織物として考えるべきだ」というような理論(思想)です。有名な「作者の死」ですね。 私自身は、そこまで「テクスト論」について詳しいわけではないので、まぁ、この章は話半分に。。 で、どうしても私はこのテクスト論なるものにある種の違和感を持っているのです。 確かに、「引用」の織物として作品を捉えるという視点は良いと思いますし、引用という問題に深く切り込んでいけるようになった、という意味ではとても成果は大きい。 けれども、作者という概念を想定しない(但し、実際に執筆した作家という概念を保持する一派もいる)というのは、何となく違和感を覚えませんか? そりゃ、古典みたいに作者が実は誰だったのか分からないような場合には(そういえば、『源氏物語』だって紫式部なる人物が執筆したというコンセンサスはとれているものの、果たして54帖全部彼女が書いたのかといえば、それは実は誰にも分からないのです。もしかしたら同人サークル『源氏物語製作委員会』のメインライターが紫式部だったという可能性すらあるんじゃないかと、私は思っていたりするのですがそれは蛇足ですね)、それはそれでいいのかもしれないけれども、現代のライトな文化でそれをやっちゃうと、ある批評雑誌の記事を読んだけれども、「こないだあの作者さんと酒を飲んだけれども、そんな事はいってなかったぞ」なんて事が起きたりする。 実際、そういう事はままあって、私の知り合いから聞いた話しなのですが、その知り合いの知り合い(ややこしいね)がプロの作家さんだそうで、教科書だかに文章が載ったりするお人なんだそうです。 で、業者テストか何かで、その人の作品が取り上げられて「この時の~の気持ちはどういうものでしょう?」的な例の問題が出て、正答例を見た作者はびっくり。 「俺の示したかった意図とはまるで逆なものが正解になってる!!」 と。 そう考えると、作者の意図を単純に排除してしまう、という事で整合性のとれなくなる場合が、こと現代にはあるように思えますが、如何でしょうか? しかし、テクスト論者は「それは作家としての彼の意見であって、テクスト論的な見地からみれば、周囲の引用によってこの部分の意味は~のように固定されて読めるのである」となってしまう。 勉強不足でアレなんですが、何となくそういうあたりに私は違和感を覚えます。多分、鑑賞する側と製作する側には絶対的な違いがあるのではないかと。 まぁ、兎も角「引用という視点だけ」で作品を読んでいく事は実際の所、実情に合わないんじゃないかと思うのです。 先に挙げた「われてもすゑに」とか「まだふみもみず」とかは非常に特徴的ですし、元ネタが一発で分かってしまう。 けれども、それが引用なのかどうか認定しづらいケースってのもありますよね。 しかし、割とテクスト論者ってのは、或る意味で確かめようもない推測に基づいて批評を行ったりするような気がします。彼らが言うには「そういう『読みの可能性』を探る事でテクストが豊かなものになる」っていうわけで、あれこれ考えて、自分の読み方を考えていくという事自体は私も好きです。 私は個人的にテクスト論には相容れない部分があるわけですが、作品を自分なりに解釈していく、というその立場は楽しいですし、良いと思うんですよ。学術的にそれが正しいかどうかという問題は別として。 こういう批評の態度って、そうはいっても私なんかも日常的にやってますよね。「~の場面は実は~とパラレルにあるような気がする……」なんて私も書いてますw 批評っていうのは、或る意味でそういう個人的な感想と切り離せない部分もあって、恐らく確実に言える事は「正しい批評」というものは、恐らく存在しない。みんな各々自分にとっての「正しい批評」をやってるわけで、絶対的な「正しい批評」の指針はどこにもない。 あっ、勿論、作品を貶すためだけに批評をする、っていうのは論外だからね。 特にフリーのサウンドノベル/ノベルゲームなんかの場合だと、プレイヤーと作者の位置が近いわけで、作者様に対して良いフィードバックが出来たらなぁ、とは考えますが、批評なんて言葉を大上段に振りかぶるとちょっと意味合いが違ってくる所もあるのかも。 だから、私はレビューという言葉にしてお茶を濁しておこうかな、なんてw 以前英英辞典でレビューの項目をチェックしたんだけども、レビューの方が「感想」的な意味合いが強かったハズなので、私はレビューという語を使い続ける予定です。 ■次回の講義に向けて 全体的に引用について、今回はお話しました。 特に後半からはテクスト論という文学理論を考えてみたりもしましたね。 このテクスト論の負の面ばかりを強調してしまったような気がしないでもないのですが、私はノベルゲーム或いはライトノベル、はたまた漫画の文脈でユーザーが自由に論議するという意味で、とても楽しい理論だとも思っています。いくつかの問題点をそこに認めるにしても、ね。 次回は、もう少しテクスト論のお話に付き合っていただきながら、今までの講義の纏めに入ろうかと思っています。 当初三回の予定が、見事に全五回の講義になってしまいましたね……。 次は最後ですから、またノベルゲームのお話なんかも沢山出来たらいいな、と思いつつ筆を擱こうと思います。 それでは、また。
by s-kuzumi
| 2008-04-27 17:47
| サウンドノベル
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