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久住女中本舗

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2019年 12月 15日

フリーノベルゲームレビュー 番外編 『虹のくじら』

フリーノベルゲームレビュー 番外編 『虹のくじら』_b0110969_20201462.jpg

道玄斎です、こんばんは。
何となく、「ノベルゲームをプレイしたいなぁ」と思ったので、今日は久しぶりに更新を。
プレイ時間は15分程度でしたので、例によって番外編で。
というわけで、今回は「晴れ時々グラタン」さんの『虹のくじら』です。


前回レビューをしたのが『マーシフルガール』だったと記憶しているのですが、そこから約一年くらい経ったのかな。
本当にノベルゲームのプレイ頻度が落ち、いはんやレビューをや、という状況ですが、今日は久しぶりのノベルゲームにふさわしい作品を選べたのではないか、と思っています。


「晴れ時々グラタン」さんの作品は、過去にも何度も取り上げたことがあります。
ちょっと目に力のあるイラストを描かれる方で、クールで芯の強い女性が主人公、というのが基本路線という印象ですね。


本作もまた、その例にもれず、クールな「小杉さん」が視点人物として登場しています。
主要人物としては小杉さんの他に、不思議ちゃん的な属性を持った「佐々木さん」がいる、という「私と彼女型」の作品です。


こうした「私とあなた」のような、一対一の人間関係やそれに付随する物語を描く作品というのは、過去を遡ってみても、コンテストのようなレギュレーションのある作品に多いのですが、本作も「ティラノゲームフェス2016」に出品されたもののようです。
といっても、何かレギュレーションがあるコンテストではないみたいなんですけれどもね。


さて、肝心の中身ですが、心の中では「どこかへ逃げ出したい」と思っているクールな小杉さんと、「虹のくじら」なる謎のワードを口にし、小杉さんにまとわりついてくる佐々木さんの物語、と簡単にまとめることは出来ましょう。
ところで「どこかへ逃げ出したい」と、そういう気分になることってありますよね。特に学生時代にはそうした思いを抱くことも多いでしょう。青春を描くような作品にはよく取り上げられるテーマとも言えます。


それはともかく問題は佐々木さんなんです。
不思議ちゃん……と言ってしまうと何か大切なエッセンスが抜けてしまうような気もしますが、分かりやすさを優先してそう呼びましょう。
で、佐々木さんは、そういう不思議な言動で周囲、というかクラス全体に迷惑をかけ、疎まれている存在なんです。


けれども、佐々木さんが本当に「迷惑行為」をしているのかどうか、はかなり怪しいのです。
謎の鼻歌を歌う。プリントにちょっと幼稚な(?)落書きをする……といったことは作中でも描かれますが、それってそんなに迷惑なことなのでしょうか?
クラスメイトが佐々木さんに浴びせる罵声やいじめに、本当に根拠はあるのでしょうか?


私は、この辺りのことが凄くプレイしていて気になってしまいました。
また、それは作中後半で小杉さんが感じたものと通じているんじゃないかと思うのです。


これは「学校」という空間だから起こることではなく、大人になっても、会社などの組織に入っても起こることです。
「変わっているから責めていい」、「変なヤツだからいじめてもいい」という空気感は、実はどこにいってもそれなりに存在しています。
そうしたところに、「いや、なんか変だぞ」と思えるかどうか。


実は私は、ノベルゲームの制作者や受け手(プレイヤー)ってそういうところに問題意識を持てるんじゃないかと思っているんです。
でなければ、こうした作品は出てきませんからね(本作に限らず、そうした造形のキャラクターやそれ故に疎まれるキャラクターを見たことがありますでしょう?)。
そうした意味でちょっと考えさせられる作品でもありました。


さて、佐々木さんがこだわっていて、「自由にしてくれる」という「虹のくじら」を見て、彼女が自由になれたのかどうか。
あるいは小杉さんは? そうした部分はふわりとはぐらかされ作品は少し切ない雰囲気でエンドを迎えます。
それは、「最後はどうだったのか、それはプレイヤーの受け取り方次第だよ」ということなんですが、一本の短編としてキッチリとまとまっていると思います。


「虹のくじら」を軸にした「雰囲気」を味わう系統の作品ですが、土台がしっかりとしているので単なる「雰囲気ゲー」になっていないのはさすがです。
「これ以上説明を省いたら分からなくなる」というギリギリまで、説明を削ぎ落しつつも、必要なことは作中で上手く表現されており、それゆえのまとまりだと言ってよいかと思います。


久しぶりのノベルゲームでした。
なんか、こういう作品をプレイするとまた、頻度を上げてプレイしたくなりますね。
ともあれ、今日はこのへんで。


それでは、また。



# by s-kuzumi | 2019-12-15 20:20 | サウンドノベル | Comments(0)
2018年 09月 24日

フリーサウンドノベルレビュー 『Merciful Girl ―マーシフルガール―』

フリーサウンドノベルレビュー 『Merciful Girl ―マーシフルガール―』_b0110969_13475844.png
今日の副題「スマホノベルで上座部仏教を学ぼう!」

※吟醸
ジャンル:AI少女との対話を通して、上座部仏教を学ぶノベル
プレイ時間:全て読んで5時間前後
その他:選択肢はあれど、結末に大きな影響は与えない。アプリ内課金アリ
システム:スマホアプリ(アンドロイド、iPhone用それぞれアリ)
制作年:2018/8/31
容量(圧縮時):不明


道玄斎です、こんにちは。
こういうブログの類っていうのは、たまに更新すると立て続けに更新をしたくなってしまうものです。
そして、また更新が途絶えてしまうと次の更新までえらく時間がかかり……というパターンになりがち。


私の場合、「辞めました」と宣言しているわけでもなし、また、かなり自発的な活動(?)でやっているものですから、好きな時に好きなように更新出来るというメリットがあるのです。
ま、それはともかく、ちょっと目に留まった作品があったのでそのご紹介。2018年も終わりに近づいて、平成も終わろうという時に、やはりこの時代らしい「新しさ」を感じる作品だったと思います。
というわけで、今回は「RhinocerosHorn」さんの『Merciful Girl』です。ダウンロード情報などはこちらからどうぞ。

良かった点

・愛らしいキャラクターを通して、上座部仏教の考え方が学べる

・人生で誰もが直面せざるを得ない“死”について描き、自らの生き方を考えさせられる設定

・スマホアプリらしい、新しいノベルゲームのありかたを見せてくれている(後述)


気になった点

・広告動画が見られないことや、広告動画を見てもストーリーが読めず、再度広告を見ないといけないことがあった

・前半部と中盤~ラストに掛けては、ストーリー的つながりが薄く、内容的にもやや乖離して見える部分もある

大体、こんなところでしょうか。
さて、ストーリーは、私がまとめておきましょう。


今より少し未来のお話。
介護用アンドロイドの技術者だった主人公は、自らの夢を叶えるため、会社を辞め、個人的に究極のアンドロイド開発に心血を注ぐ。
愛らしい少女のアンドロイドを完成させ、ビッグデータと接続させた瞬間、アンドロイドは通常と違う発言や挙動を見せるようになった。それは主人公が知る「禅」の姿と重なる。
そんな折、主人公の母(育ての親。主人公は養子)の体調が悪くなり……余命僅かであることが判明するのだが……。


というようなお話し。
このサークルさんは、「原始仏教」の思想に基づいたゲーム(?)を過去にもリリースしているようで、『森の聖者』という作品もあります。『森の聖者』もノベルゲームっぽさはありますが、どちらかといえば、やはり「スマホアプリ」的な趣が強い。
一方、本作は、「ノベルゲームだよな!」という感じ。


余談ながら、画面の使い方にも違いがありましたよ。
『森の聖者』のほうは、スマホを縦にした表示で、本作は横の表示です。スマホのノベルゲーム(的)な作品でも、こういう違いがあるようです。


それはさておき、ここで、一点解説を入れておきましょう。
「原始仏教」とありますが、どういったものかイメージがつく方は案外少ないんじゃないでしょうか?
より正確に言うならば、このディベロッパーさんの作品は原始仏教というよりは、「上座部仏教」/「テーラワーダ仏教」といったほうが、私にはシックリときます。ですので、ジャンルにはそう書いておきました。


っと、全然解説になってなかった。
私達が日ごろ接するお寺やお坊さん、冠婚葬祭の儀式に欠かせない存在ではありますが、日本は「大乗仏教」です。
お釈迦様の思想がどんどんと広まり、深まっていく中で発展した(拡大解釈されたりも)仏教の1つの姿と言えばいいでしょう。
一方、タイやスリランカのような国々の仏教が「上座部仏教」や「テーラワーダ仏教」と呼ばれるものです。


基本的に、仏教の初期的な教えに従って修行生活をするお坊さんの集まりを中心にしていく仏教の在り方でございまして、お坊さんは「戒律」を守り、「修行」(瞑想など)をしていくことになります。
皆さんもご存知の托鉢は、上座部仏教の朝の定番の活動です。


近年、Googleなどの世界的な企業や大学、政府機関などの研修で、マインドフルネスというのが取り入れられていることを知っている方は多いでしょう。これは上座部仏教の「瞑想」から宗教的な色合いを抜いて、その恩恵を抽出するプログラムだと言ってもいいかと思います。


心が休まる、優しくなれる、この瞬間を生きることが出来る、などの恩恵があり、かなり前から世界的なムーブメントになっています。
何年か前……某クリスチャンノベルゲームレビュワーのお兄さんに「アメリカでも座禅が流行ってるんですよ。キリスト教の神父さんや牧師さんも関心を示していて、実践をしている人がいるんです」とお話ししたら、「聞いたことがない!」と一蹴された経験もありますが、「マインドフルネス」の日本での流行もここ数年でかなりのものになり、そうした土壌やバックグラウンドも理解してもらいやすくなりましたw


ただ、私の上記の発言もちょっと不正確でした。
というのも、「禅」と「マインドフルネス」、そして「上座部仏教で行われている瞑想」はそれぞれ微妙に違うものだからです。
日本人にわかりやすい説明として「座禅ですよ」というとすごく伝わりやすいんですが、一方で安易なカテゴライズをすることで、大切なエッセンスが抜け落ちてしまうこともあります。


ま、そうした説明はさておき、作品内容に入っていきましょう。
アンドロイドの少女がビッグデータに接続され、世界のあらゆる知見を身に着けた結果起こったのが、「悟った人」的なふるまいや発言だったわけです。


これは、理解がとてもしやすい。
というのも、アンドロイドでAIですから、「心」がないんです。より正確に言えば「自分が自分であるという見方」が存在していない。ただ、各感覚デバイスを通して情報を受け取るだけ。


私達は「私は〇〇県出身の〇〇歳、仕事は〇〇をしていて、既婚、子供が2人いる。得意なことは〇〇で苦手なことは〇〇。水虫を持っている」とか、そういう自己認識でもって、「自分」なるものを規定します。


ただし、上座部仏教では、そうした見方を否定しますし、そうした見方を離れるように瞑想を始めとする修行があるのです。その「私が思っている自分なんてない」というものが「無我」と呼ばれるものです。
本作では、アンドロイドであるがゆえに、一足飛びにそうした「高い境地」に既にして到達してしまっている、というのは「その手があったか!」と思わず膝を打ちました。


また、アンドロイドの少女は外部から入力された世界の情報を「ただ、ありのまま受けとめるだけ」です。
そこに、たとえば「好悪」などの概念は入り込みませんし、いちいちそうした反応も示しません。これもまた、上座部仏教の修行で目指されている境地です。


ですから、アンドロイドが悟りを開いた人のようになって存在している、というのはとても分かりやすく、また、納得感があるものなのです。


作品それ自体は、カレンダー消化型の体裁ではありますが、実質的に「カレンダー」である必要性がありません(たとえば、1月14日から始まって、最終日に2月14日のバレンタインがある、なんて時には、カレンダーの意味が活きてきますよね)。
寧ろ、本作におけるカレンダーの意味は、「一話一話を区切るアクセント」としての役目のほうが大きいのです。


一話はおおよそ10分程度で読むことが出来ます。
電車2~3駅分というと分かりやすいかな。気軽に1つ1つのチャプターを読んでいくことが出来る体になっています。


一方で、少し読み進めると、「次の日」に行くためには「動画再生」が必要となります。
皆さんもご存知でしょう、スマホコンテンツでおなじみの「動画を見ないとコンテンツが見られない」というアレ。約30秒くらいのパズルゲームなどの動画が流れたあとで、次のお話しが読めるように。


この動画再生によって、「基本フリーだけれども、作者に収益が入る」というシステムはスマホアプリのノベルゲームならではの仕組みでしょう。さらに、「いちいち動画再生をするのが面倒」という人は、「製品版」を買うことで、わずらわしさなく物語を読み進めることが出来るわけです。


つまり、2つの収益の仕組みがあるということなんです。
フリー版は広告再生によって。製品版は直接代金を支払う、という形です。
これはなかなかうまいやり方ですよね。フリーで遊ぶことももちろん出来ますし、その場合であっても作者にリターンが入る。今後、こういう形も増えてくるのかな。


物語の前半部は、「悟りを開いた」アンドロイドの少女と、開発者である主人公の問答(?)が中心となります。
そこだけ切り取ると、一話一話のお説法のような感じ。
人生の目的とはなにか? 何に価値を見出すのか? 慈悲とはなにか? そういったことが、上座部仏教の教えを元にアンドロイドの口から語られていきます。


多分、この辺りは予備知識がなくても問題なく読めるところだと思います。
むしろ、かなり分かりやすい喩えで解説をしてくれているので、はじめてそうした教えに触れる人でも安心です。


一方、物語の中盤~ラストにかけては、前半にあったお説法的な色彩が一気になくなり、「ノベルゲームらしい」ストーリーが展開していきます。
主人公の育ての母親の死が焦点化され、死とどう向き合うのか、残されたものはどうするのか、といった誰しもが避けられない問題が描かれることに。


アンドロイドの少女のお説法は、この段階で激減するのですが、随所で苦しむ育ての親を、仏教的なやり方で癒し、慰める様子は時折出てきますね。
お釈迦様の直弟子のサーリプッタ(舎利子っていうと伝わりやすいかな?)が、ある長者の死に際に際して行った誘導瞑想を下敷きにしたシーンなんかは、後半の仏教的な見どころの一つと言えるでしょう。


ともあれ、「死」というものに対して、その苦しみも含めて誤魔化さずに描いているところは、凄みを感じます。
それによって、私達も、自分の親兄弟、そして自分自身もいつか必ず死ぬんだ、ということを直観出来るようになっている作りは見事。「上座部仏教的なノベルゲーム」としてみれば、特に後半部分は内容的にやや乖離している感は否めませんが。


もはや後半~ラストにいくと、上座部仏教的な「死」というより、そういう何かの視点に偏らない「死」みたいな感じになっていきますね。ちょっとこうホロッとしてしまう部分も多いです。
私は「自分が死ぬとき、こうして自分を世話してくれる人はいるのか? もしいたとして迷惑をかけずに死ねるのか? 一人で寂しく死んでいくだけなんじゃないか?」など、色々プレイしながら考えてしまいました。


上座部仏教という哲学を下敷きにした作品ですから、こうしてプレイヤーに「訴えかける」ものがある作品だということは大いに強調したいところです。


恐らく、本作は「上座部仏教の思想とアンドロイドを融合させたら上手くいくかも」というアイデアを先行して作られた作品だったのではないでしょうか? 
後半の内容的な乖離はそれで説明できますし、本当の本当のラストがやや投げやりな感じで終わってしまっていたのも、力点がそこにはないから、なのでしょう。


ただ、繰り返しになりますが、「自我を持たないアンドロイドだからこそ、悟った人と同じふるまいが出来る」という本作のキモとなるアイデアには、本当にびっくりしました。
そうそう。悟った状態の説明(?)を最初にしましたが、あれだと「無機質で無感動で面白味のない人間になるってことか?」と誤解される向きもありましょう。
けど、違うんです。仏教には「慈悲」というものもあり、上座部仏教の中には「慈悲の瞑想」という正式な瞑想法もあるくらいです。なので全く無感動で無機質なのとは違うんです。だからこその「Merciful」(慈悲深い)がタイトルに冠されていると考えるといいと思います。


上座部仏教を学べる楽しい学習アプリとしての側面、スマホのノベルゲームとしての2018年的な在り方や、斬新なアイデア、そして自分自身を顧みる余地が多分にあること、などを考え今回は吟醸で。


仏教に対して思う所がある方もいらっしゃるでしょう。
けど、そうした先入観を抜いて、一度是非プレイしてみてください。どんな立場の方でもちょっと考えさせられること請け合いですよ。


それでは、また。


# by s-kuzumi | 2018-09-24 13:49 | サウンドノベル | Comments(0)
2018年 09月 23日

なんてことない日々之雑記vol.394

道玄斎です、こんばんは。
凄くブログを書くのが久しぶりです。


久々にログインしてみたら、ずいぶんとブログそのものの仕様も変わっており、今、不思議な戸惑いを覚えています。


このブログの更新をストップしていた期間(けど、ブログをやめたり、ゲームのご紹介をやめたりする、と宣言していたわけではないんですよね)、私の人生の中で、それなりに忙しく、また充実した時間を過ごしていました。
去年の今頃に、ちょこっとレビューを書いたりはしていましたけれどもね。


本当に、こうした雑記では書ききれないほど色々あって、そうした日々の中で、少し時間的なゆとりが出来そうな気配がしてきました。本当に率直に言ってしまえば、「自分で選択をする」ことでそうしたゆとりが生み出せそう、というのが正確なところです。


もし、時間的ゆとり、精神的なゆとりが生じたにせよ、以前のような更新の頻度だったり、以前と同じように、というのはやはり難しい。
時代は変化していきますし、書き手である私も10年前の私とはやはり違います。


全てのものが移ろいゆく中で、寂しさや、ある意味では展望が開けたような、そうした気持ちを今感じます。
辛かった日々も、楽しかった時も、ミントアイスを一緒に食べた思い出も、きっと少しづつ忘れ、手触りや香り、その時の気持ちも薄れていくのでしょう。


そうした、最後の時に向けて、今自分が何が出来るのか。
あるいは何をしたらいいのか。何をしていいのか。そういう部分で色々と考えることはあります。


ただ、諸行は無常なものですから、何をしたとしても消えていくわけで、素直にその時したいと思ったことをやっていく、というのが一番いいのかもしれませんね。


そういえば、先日、横浜創作オフ会なるものに、参加してきました。
基本的に私は、そういうオフ会を、このブログの名義で参加するようなことはしたくなかったのですが、10年以上たって、「たまにはいいか」みたいな気持ちで遊びに行ってみました。


やっぱり、一時期あった「ノベルゲーム全盛期」とは全然雰囲気が違いますよね。
ノベルゲームの創作や享受も、他の活動と相対化されているなぁ、と思います。いえ、元々そうあるものなんですが、それをとても強く感じた、ということなんです。


同人のノベルゲームも、フリーのノベルゲームも取り巻く環境が、この10年で大きく変わりました。
享受のされ方や、享受する層も変わっています。ツールの変化だってあります。けど、それは当たり前のことですよね。


ただ、変わらないものも、同時にあります。
それは「作られた作品が確かに存在する(存在した)」という事実です。
ある瞬間に作られたあるゲームは、その時点で確かに存在していたし、その時点でしかるべき場所にあった、ということです。


上手くまとめられないんですけれども、「ノベルゲーム」なるものが好まれていた時期は確かにあって、今も少し規模は小さくなりましたが、いまだにその創造や享受の営為は行われています。
それを、出来るところまで追いかけてみる。また「ノベルゲーム史」とでもいうべきものの中で位置づけられるとしたならば、それは結構面白い試みかもしれません(少なくとも私にとっては)。


本当にそういう気持ちになるかわからないけれども、また、たまにピンとくるノベルゲームのお話しが出来たらいいなぁ、なんて思ったりしてます。


とりあえず、久々の近況報告ということで、少しだけ記事を書きました。
またお目にかかれますよう。


# by s-kuzumi | 2018-09-23 17:32 | 日々之雑記 | Comments(0)
2017年 09月 18日

フリーサウンドノベルレビュー 『夏ゆめ彼方』

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今日の副題「少年の日の夢とその最果て」

※大吟醸
ジャンル:ひと夏の思い出と「今」を描く感動ノベル
プレイ時間:~3時間ほど
その他:選択肢アリ。メインストーリー1本、サイドストーリー1本に分岐
システム:吉里吉里/KAG
制作年:2017/9/7
容量(圧縮時):293MB



道玄斎です、こんにちは。
今日は前回に引き続き、大吟醸作品のご紹介。
今プレイすると季節感もばっちりだと思いますよ。というわけで、「ペットボトルココア」さんの『夏ゆめ彼方』です。ダウンロードはこちらからどうぞ。
良かった点

・ある意味定番な設定ながら、テーマが重厚。

・「将棋」がいいスパイスになって、作品全体を引き締めている

・挫折を経験した人にはぜひプレイして欲しい内容


気になった点

・小学生の視点での一人称の難しさを感じる

前回に引き続き、連続での大吟醸です。
気になった点は、「一応書きました」というようなもので、本当によい作品だったと思います。
ストーリーは、ふりーむのほうから引用しておきましょう。
父親との死別で塞ぎ込んでいた『天才小学生』朝川桂一は、ある日『神様』を自称する巫女服姿の少女と出会う。
少女との交流の中で、桂一は将棋のプロ棋士になりたいという自らの夢を思い出していく。

夏×伝奇×将棋!
『夢』をテーマにしたノスタルジックな青春ノベルゲームです。

こんな感じ。

紹介文では端的に、「夏」「伝奇」「将棋」が作品の骨であること示されています。
「夏」の神社で、神様を自称する少女(幼女?)と出会って、「将棋」という一度捨てかけた自分の夢を追いかけることが出来るようになる……みたいなストーリーではあるんですが、このストーリーの流れだけみて「またこのタイプかよ?」と決めつけてしまうのはもったいない!

本作の本当に美味しいところは、やはり紹介文で示されている通り「夢」だからです。
夏、伝奇、将棋のようなものは、云わばフレーバーのようなもので、本作を素晴らしいものにしているのは、その「夢」の要素です。


誤解を恐れず云ってしまえば、「幼いころからの夢が叶う」なんて人は、ほとんどいないんですよね。
みんな大なり小なり挫折を繰り返し、その中で妥協しながら今を生きることになります。

だからこそ、それがノベルゲームの中であったとしても、夢はまぶしく見えますし、主人公に自らを仮託してついつい応援したくなるわけです。

本作で何より優れていたのは、その「夢」の行方を丁寧に追っていくところでした。
神様である少女――杏(あんず)――との出会いで、また自らの夢を恢復させ、夢に向かって踏み出していく。

ここで物語を終えることも十分可能だったはずです。
しかし、本作はもっともっと「夢」に踏み込んでいきます。

詳しくは是非プレイして確かめて頂きたいのですが、夢っていい事ばかりじゃありません。
先ほど書いたように、挫折はつきものです。むしろ挫折していく人のほうが多いくらい。しかも、それにすべてをかけていればいるほど、実生活での「潰し」が効かなくなってきます。

そういう部分での、主人公圭一の葛藤は、本当にリアリティがあります。
何かに一生懸命取り組む。しかしその努力がそのままリターンされてくるわけではない。大人はみんなそれを知っていますが、いざ自分がその立場になってみると、みっともなく暴れたり、ふさぎ込んだりしてしまうのも、また人間です。私自身、読んでいて身に覚えがありすぎて、かなりドキドキしてしまいました。

夢は破れはしたけれど、その中で小さな幸せを見つけていく……というのも一つの生き方です。
本作のサブルートでは、そういう「all or nothing」的な夢の在り方だけでなく、もっと実際的というか、現実的な夢の果て、のようなものも描かれています。

サブルートそのものは、メインのルートに比べるとボリュームや内容的な部分で、物足りなさは感じますが、「夢」のもう一個の可能性を見せてくれたところに、良さがありますよね。


さて、先ほどは大ナタを振るって「フレーバー」といってしまった、神様との交流も実は無視できないものです。

こういう作品に出てくる神様って、みんな女の子ですよね?
間違っても、マッチョなアニキが神様をやってるなんてことはない。

しかも、見た目こそ幼女でありながら、その中身には酸いも甘いもかみ分けた……明も暗も見て来た老成した部分があるというのも定番です。

これは……やはり男性の願望の1つの形なんでしょうね……。
見た目こそ優しくありながら、悲しみすらその奥に秘めている深い海のような愛情を持った存在に、思い切り甘え切ってみたい。そういうのって案外多くの人が持っている願望な気がしますよ。

本作も……やはり後半で、圭一が杏の胸の中で号泣するシーンが出てきますが、前回のレビューでもお話しした通り、名シーンになっています。

圭一の「夢」は最後どうなるか、是非ご自身で確かめてみてください。
そうそう、本作は「将棋」が出てきますが、ルールが分からなくても読むのに支障はありません。もちろん分かる人にはまた別の愉しみが出てくるとは思います(私は駒の動かし方を知ってるくらいだ)。


さて、ここからは蛇足。
久々に「これは」と思えるノベルゲームを2本プレイしてみたわけですが、2本ともとてもいい作品でした。

舞台や設定のようなものは、オーソドックスではありますが、どちらもストーリーの芯が骨太で、人間の悩みや葛藤といった、「物語」が扱うにふさわしいテーマになっていました。

少しノベルゲームから離れている間に、こういう手ごたえを感じる作品が増えてきて、「またノベルゲームも盛り上がる兆しがあるのかな?」なんて思っていたり。

ゲームだけに限りませんが、大体、すっごい流行る良い作品があって、その後、その後追いのような作品がガンガン出てくる。一方で、その反発として目先を変えた作品が出てきて……と、ブームが形成されていきます。

しかし、作品数が増えていくとある種の飽和が生じたりして、ジャンルが衰退に向かっていったりするんですよね。その中で、オーソドックスな良さというのは、重要視されなくなり、刺激的なものがもてはやされる中で、ブームは爛熟期を迎え、徐々に作品数が減って……。

で、「〇〇は終わったぜ」と悲観的なことが言われたりするんですが、またオーソドックスながらも力のある作品が出てきて、ジャンルが再び盛り上がってくる……なんてことがあります。文学の歴史とかって割とそういうとこありません?

ですので私は、今回2作品プレイしたのですが、ちょっと、またノベルゲームのオイシイ季節がやってきたんじゃないかな? なんて思っているんですよ。

もしかしたら、そういう時期は来ないかもしれないし、来たとしても一瞬で終わってしまうかもしれない。
けれども、こんなに丁寧に、物語が扱うべき(って言っちゃってもいいかな?)テーマに取り組んでいる作品が少しづつ増えてきている、という現状、とっても嬉しいですねぇ……。

また、私もマイペースではあるんでしょうけれども、これは、と思う作品紹介していけたらと思っています。



それでは、また。


# by s-kuzumi | 2017-09-18 16:05 | サウンドノベル | Comments(0)
2017年 09月 10日

フリーサウンドノベルレビュー『私は今日ここで死にます。』

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今日の副題「死を美化しない骨太ノベルゲーム」

※大吟醸
ジャンル:自殺がフィーチャーされる雰囲気もの(?)のノベルゲーム
プレイ時間:1時間と少し
その他:選択肢なし、一本道
システム:Nscripter
制作年:2017/8/14(?)
容量(圧縮時):44.2MB



道玄斎です、こんばんは。
ずいぶん……そう年単位で更新が滞っていました。
皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか? 私は何とか生きています。

そうそう、このブログを始めたのが2007年だったと記憶していますから、本年2017年は丁度10年目に当たります。つまり、私もこのブログを書き始めたころから10歳年をとってしまった、というわけです。

私自身……白髪が出てきた! とかいろんなことがありますが、まぁ、ぼちぼち成長して……いるといいなぁ、なんて思ってますねぇ。

さて、今日は本当に久々のノベルゲームレビュー。
mint wings」さんの『私は今日ここで死にます。』です。
良かった点

・本来の意味での「雰囲気」が出ている作品

・自死をテーマにした作品がこの作者さんには多いが、本作ではかなり骨太で、凄い進化がうかがえる

・なんとも言えない優しい雰囲気、暖かい空気感が素敵


気になった点

・若干駆け足気味だったところも

・フォルダを開くと、BGMなどが丸見え

こんなところでしょうか。
ストーリーですが、作者さんのサイトから引用させて頂きましょう。
人が自殺しようとしているのを目撃した場合、どうするか。

いくつかの答えがあるだろうが、俺には考える余裕も時間も無かった――。

ある日、主人公 "萩原 京介" は、入水自殺をはかろうとしていた女子高校生 "三島 由香" と出会う。

京介は、彼女が死ぬ前にとある提案をするのだった…。


不器用な登場人物達が織りなす、「生きる」という普遍的なテーマを主軸においた物語[全2章構成]。

こんな感じ。

いやぁ、いい作品でした。
引き締まった尺(ただし若干駆け足気味のところはあるかも)、骨太のテーマ、本来の意味での「雰囲気」を活かした作品で、これはお勧め出来る作品です。

テーマは若干重めで、「自死」「自殺」です。
何度も書いている気がしますが、この手の「自殺」をテーマにした作品って、かなり増えたんですよね。本作もちょっと「ドキッ」とするタイトルですよね。

そうした作品を私も何度も取り上げてきましたし、取り上げていないものも含めればかなりの数を読んできました。
また、本作の作者さんも、同様のテーマを作品の中で積み重ねてきているわけですが、行きつくところまで来てしまったな、という感じ。ええ、もちろんいい意味で、です。

本当に自殺を描いた作品には、「なんとなく死んでしまう」、「自死が理想的で、また美しく描かれる」なんてものもあったりして、それはそれで面白いものもあるんですが、「死」あるいはその裏返しの「生」というテーマにそれが真向かいしているのか? と問われれば、また答えにくいものがあるはず。

一方、本作は「雰囲気ゲー」と作者さんご自身がおっしゃってますが、全然そんなことはありません。
いや、正統な「雰囲気ゲー」だと言えると思うのです。

というのも、雰囲気というのは相当描くのは難しいんです。
なんとなくうすぼんやりとした理由で誰かが死んで、音楽もそれっぽい感じにしても、それはどこかうわっ滑りなものになってしまうわけです。

本当の意味で「雰囲気」を出して、それを作品に活かすためには、シッカリとした設定や描写が絶対に必要になってきます。

丁寧でしっかりとした物語があって、はじめて「雰囲気」が出てくる、と私は思っています。
その意味で、本作は比較的オーソドックスな設定(自殺を使用としていた女の子を、どこか無気力な青年が助けて~)を持ってはいますが、丁寧なキャラクター描写、舞台やエピソードの積み上げによって、結果暖かく、優しい雰囲気が十分に出ていました。

個人的にとっても惹かれたのが、主人公京介のモノローグやそれと同化する形での地の文。
いわゆる「少し冷めた感じの青年」ではあるんですが、そのモノローグ(何か大事なことを言いかけるような、そういうモノローグ)によって、彼の心にも何かわだかまりや、葛藤があること、上手に表現されていました。

物語前半部分では、「死」にある種のあこがれを持つヒロイン由香が描かれるのですが、そのリアリティを垣間見て、彼女の想いもまた変わります。
「死を単純に美化」するのではなく、深く死を見つめていった時に感じる怖さ、その怖さによって逆に触発される「生」への想い。この辺りの描写は物凄くよかったです。

また、本作屈指の名シーンは、今挙げたシーンもそうなんですが、年上であるはずの京介が年下のヒロイン由香に泣きつく……っていうと語弊があるか……。つまり、誰にも言えずに抱え込んでいた想いを吐露していくシーン。
これはもう、本当にいいシーンなんですよ。

そういえば、本作はサンドウィッチ的な構造もとっています。
エピローグで分かるんですが、こういうサンドウィッチ構造って私好きなんですよね。物語に厚みが出ますからね。

手前みそで恐縮なんですが、私もちょいと関わった『Ghost Write』という作品にも、年下の女の子の胸で泣いたり、実はサンドウィッチ構造だった、なんて仕掛けも出てきます(ただし、クオリティは本作のほうが全然上だわ……)。


閑話休題。
死をただただ美化するのではなく、それをしっかりと見つめること。そして生へ転換していくこと。
それが無理なく、無駄なく描かれていたというのが本作の最大のグッドポイントでしょうね。ね? 私も10年経って、ちょっと成長したでしょう?

尺はおおよそ1時間くらい。
スッキリと読めるのに、深みがある。とっても素晴らしい作品です。ぜひぜひ、このページをさっさと閉じて作品をDLしてプレイすることをお勧めします!


それでは、また。


# by s-kuzumi | 2017-09-10 20:42 | サウンドノベル | Comments(4)